舞台「夜は短し歩けよ乙女」千穐楽公演の感想――人生初めての舞台の観劇と感激
舞台「夜は短し歩けよ乙女」千穐楽公演を観てきました(舞台「夜は短し歩けよ乙女」 <オフィシャルHP>)。
原作は森見登美彦さんによる同名の小説で、劇場アニメ化もされている有名な作品なので、ご存知の方も多いかと思います。脚本・演出は、上田誠さん(ヨーロッパ企画)です。
以下、観劇してきた感想を書き連ねます。前半では人生初舞台について、後半では舞台の内容についてコメントしています。
客席について
1)満席!
ほぼ満席でした! 座席の98~99%くらいは埋まっていたように見えました。空席はおそらくチケットを購入したものの来られなかった人のものだと思います。
先日、映画館に行った時のように、1席ごとに空席にして座席間隔を確保するものだと思っていたら、そのような措置は取られていなかったので、最近では珍しく「コロナ以前の満席感」を実感できました。
2)若者が多い!
舞台という娯楽にこんなにも若者が集まるとは思いませんでした。大学生~20代が6~7割くらいを占めていたように見えました(格安の学生チケットのおかげでしょうね)。客層の一番上の世代は50代くらいでしょうか。
男女比は6:4で男性が少し多めのように感じました。1人客が6~7割、その他(カップルや友人2~3人連れ)が3~4割くらいでしょうか。
3)座りっぱなし!
実測値で185分=約3時間(第一部80分+休憩20分+第二部85分)の舞台で、その間ずっと座りっぱなしでした。トイレに行くつもりがなくても幕間に席を立って、体を伸ばしておくべきでした。
満席だったことと、前席との距離がやや狭かったこともあって、やや窮屈に感じました。長時間窮屈な体勢だったので、疲れましたね~
舞台という文化について
4)格差の文化①――アクセスの格差
以前にどこかで読んだことの受け売りですが、舞台は「格差の文化」だとつくづく実感しました。
まず、舞台にアクセスできる地域には格差がありますよね。この「夜は短し歩けよ乙女」が東京(新国立劇場中劇場)と大阪(COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール)でしか開演されなかったように、概して様々な舞台に容易にアクセスできるのは東京圏と京阪神圏に限られているように思います(さらに言えば、東京公演のみの舞台も多々あります)。
私の肌感覚ですが、私が高校までを過ごした地元も、通っていた大学があった地方も、舞台という文化が身近にない舞台過疎地でした。もちろん地方公演が県庁所在地にやって来ることもあったでしょうが、自分の興味関心のある劇団や題目の舞台がやって来るとは限りません。また、特に地元の生活圏(非県庁所在地)には、プロはもちろんアマチュアによる小劇団もいなかったように思いますし、親や友人など私の周辺の人から「舞台を観に行った」などと経験談を語る人は一人もいなかったのです。
要するに、田舎には舞台という文化が存在しておらず、舞台は東京圏や京阪神圏に住んでいる人のためのいわば「高尚な文化」なのです。
5)格差の文化②――座席の格差
さらに、舞台を観に行けたとしても、座席にも格差があります。映画館のように、どの席でもそれなりに視界いっぱいに観られると思ったら大間違いです。
私の席は中列(11~20列目)でしたが、舞台では、前列・中列・後列の間で露骨に格差があります。おそらくステージ上の役者の表情を読み取れるのはせいぜい前列(1~10列目)までで、中列・後列ではオペラグラスがないと役者の表情は観られません。オペラグラスを使用したとしても、視界は著しく限定されるため、肉眼とオペラグラスを相互に運用することになるのですが、オペラグラスの視界外での出来事を見逃してしまうこともあります。加えて、オペラグラスを使用することによる肉体的負担も無視できません。私は翌日、右腕が筋肉痛になりました。
今回の舞台は座席間に料金格差はなく、どの座席になるかは運次第だったのですが、高いチケット代を払ってでもステージの近くで観たいという気持ちがよく分かりました。
なお、私は端側の席だったのですが、特に観にくいこともなく、「中央―端」間の格差は想像よりなかったように感じました(これは逆に前列の方が格差がありそうですが)。
舞台芸術について
6)舞台演劇に対するイメージ
(記憶している限りでは)人生初舞台ということもあり、私の中で舞台演劇のイメージと言えば、高校の学園祭で観た、体育館のステージで行われた演劇でした(田舎者の舞台のイメージはこの程度の人が多いのではないでしょうか)。
さらには、つい最近読んだ漫画(『推しの子』第46話)の登場人物が、まさに舞台に対する私のイメージを見事に表現していました。
アクア「場面転換のたびにセット入れ替えてテンポ悪いし、可動式のセットは安っぽい。劇特有の大げさな演技にいまいちノれない」
7)舞台装置が豪華!
しかし、今回、私が見た舞台は、それまで抱いていたイメージとはまったく異なる演劇でした。
まず、なんといっても舞台装置が豪華でした。回転したり、高所に上れたり、横にスライドしたり、学園祭の予算では到底無理な舞台装置が様々ありました。
もちろん細かく見れば、背景がペライチの場面は多々ありますし、飲食は飲むふり食べるふりでしたし、歩いたり走ったりは同じ地点での足踏みでしたが、しかし、接写することがないというメディアの特性上(私がオペラグラスで覗いても視界は直径1m80cmくらいでした)、舞台を観劇するにあたっては意外にも気になりませんでした。
8)背景に映像が使われている!
舞台装置の重要な一つに背景がありますが、なんと、様々な形のスクリーンに映像が投影される背景もあったのです! 背景映像を組み込んで効果的に作り上げられる舞台は、想定していませんでした。
ところで、スクリーンに投影された映像の一部には、実写された京都の市街地や京大の風景が使用されていました。しかも、京大の時計台などの建物の外観はもちろんですが、生協食堂の「ぼっち席」まで背景に使用されていましたし、今年5月12日に営業開始、6月25日にグランドオープンした四条河原町のエディオンも背景に使用されていましたね!
また、スクリーン映像ではないのですが、実際にあった京大の有名なタテカン(立て看板)をパロディした「俺が景観条例だ」のタテカンもありましたね!
幻の立て看共演!#立て看撤去観察会 pic.twitter.com/SQClbsVhb1
— 京大立て看同好会(京看同)(公認) (@kutatekan) 2018年4月30日
9)切れ目がない!
今になって思えば、プロを侮っていたと反省していますし(そもそもプロ・アマの相違に思い至らなかったのが不思議です)、これが今回の舞台を観て一番感動したポイントだったかもしれません。
それというのは、第一部と第二部の幕間のほかは、演劇が間隙なく進行していくのです! 別の言い方をすれば、舞台転換のための暗転の間などなく、動態的・同時進行的に変化してゆく舞台のどこかで常に演劇が行われているのです! この点はもはやテレビや映画などの映像系をはるかに上回るテンポの良さでした! 私の抱いていた学校演劇の静態的なイメージは、もちろん良い意味で完全に裏切られました!!
練りに練り上げられた脚本・演出、それに応えるキャスト・スタッフの緊密な連携、さらにそれを高いレベルで実現するための綿密な稽古がなければこれを成し得ないことは、素人目にも理解できます。
10)伝わる演技
大袈裟な演技は、舞台演劇の大きな特徴と言えるかと思います。しかし、劇場で実地経験すればよく分かるのですが、ステージと客席の距離を考えれば、あれくらい大袈裟でないとむしろ演技は観客に伝わらないのです。中列・後列に至っては、肉眼では表情を視認できないのですから。とはいえ、本作のようなコメディ要素のあるストーリーに大袈裟な演技は似合いますが、相性の良くないジャンルもあるのではないか、とはふと思いましたが。
また、舞台役者と映像系の役者に求められる能力も違うのではないかと素人目に感じました。(マイクを使用しているとはいえ)よく通る大きな声、1公演約3時間・1日2回公演・1か月の興行でも潰れない喉と体力、約3時間分の台本の記憶などは、必ずしも映像系の役者にも求められる能力ではないと思われます。特に、独白も含めてセリフ量が多かった主演の久保史緒里さん(役:黒髪の乙女)と中村壱太郎さん(役:先輩)の努力は尋常ではなかったはずです。
脚本について
11)脚本について(総論)
今回の舞台「夜は短し歩けよ乙女」の脚本は、大筋はもちろん原作小説通りでしたが、メディアが異なるので当然に原作ともアニメとも異なる部分がありました。
アーカイブ配信は観ていないし記憶できていないところも多いので、原作小説やアニメとの脚本の細かい相違を全てここで挙げることはできないのですが、全体的には、①歌要素など、各所で舞台のために最適化された脚本になっていた、②原作小説よりも各章の連関が強められていた、③原作小説やアニメよりもコメディ要素が強められていた、④舞台の脚本は、どちらかと言えば原作小説よりも上田誠さんが同じく脚本を担当したアニメ版の方に似ていた、と感じました。
原作小説のエピソードが大幅に削られることはなく、約3時間の超大作に仕上げられていたのは原作読者としては大満足でした(ちなみにアニメは90分映画です)。
12)脚本について(各論)
印象に残っている原作小説やアニメとの相違は、以下の通りです。
第一に、原作やアニメとは異なり、舞台では、先輩が乙女に一目惚れした場所が、物語の結末の場面と同じく進々堂になっていました。これは二人の出会いを運命的に演出するドラマチックな脚本だったと思います。
第二に、春(第1章「夜は短し歩けよ乙女」)における結末が異なりました。原作小説では、春の夜のうちに東堂の鯉は空から降ってきて東堂のもとに戻り、それによってテンションの上がった東堂は乙女に接吻しようとして彼女から「おともだちパンチ」を食らいます。他方で先輩は、頭に鯉を食らってしまい気絶してしまいます。それに対して、アニメと舞台では、ズボンとパンツを履けないまま乙女と出会ってしまった先輩は、彼女から「おともだちパンチ」を食らい、そのまま春の章が終わりました(加えてアニメでは、李白に勝利した乙女にどさくさに紛れて抱き着いた東堂も、彼女から「おともだちパンチ」を食らいます)。アニメでも舞台でも、春の章のうちには東堂の鯉は戻って来ず、鯉が降ってくるのは秋(第3章)になってからでした。
第三に、アニメと舞台では、春(第1章)と夏(第2章)の間に、原作小説にはないエピソードが挿入されていました。そこでは、乙女が『ラ・タ・タ・タム』を求めに下鴨神社の古本市に行くという情報が図書館警察=学園祭事務局から先輩にもたらされ、それと引き換えに先輩は学園祭事務局に協力するという取引を行いました。それに対して、原作小説では、先輩は「ある信頼すべき筋」から乙女が古本市に行くという情報を手に入れ、古本市の少年から彼女が『ラ・タ・タ・タム』を求めていることを知ったのです。
第四に、夏(第2章「深海魚たち」)において、『ラ・タ・タ・タム』をめぐる展開が異なっていました。原作小説では、闇の古本市で勝利した先輩が獲得した『ラ・タ・タ・タム』は、古本市の神により強制的に解放され、結果的に古本市で乙女がこれを手に入れました。それに対して、アニメと舞台では、同じく解放された『ラ・タ・タ・タム』は、先輩が確保し、秋(第3章)の学園祭ではそれを出品するも乙女に出会えず、ようやく冬(第4章)において風邪で寝込んだ下宿で乙女に譲渡することができました。
第五に、秋(第3章「御都合主義者かく語りき」)におけるロマンスの展開が異なっていました(ちなみに、私はこの章が一番のお気に入りです)。
原作小説では、ゲリラ演劇「偏屈王」最終幕における乙女演じるプリンセス・ダルマと偏屈王の再会シーンで、上演前に先輩は偏屈王役をパンツ総番長から奪い取りました。そして、「偏屈王」終幕後に、パンツ総番長と「象の尻」の紀子がようやく再会し、なんとも御都合主義的に、羽貫さんが放り投げた達磨がその二人の上で跳ね返りました。
アニメでは、「偏屈王」最終幕上演中に、先輩はパンツ総番長が演じた偏屈王役を一度は奪い取ったものの、パンツ総番長に奪い返されてしまいます。そして、パンツ総番長の前に1年前の「リンゴの君」が登場するのですが、実は彼女は学園祭事務総局の女装姿だったことが発覚し、パンツ総番長は失恋します。すると、「偏屈王」の監督っぽい女性がパンツ総番長に告白しますが、彼はそれを断り、たとえ男であっても「リンゴの君」に惚れたのだと言い、まんざらでもない学園祭事務局長もそれ応えようと二人はキスしようとします。しかし、なんとも御都合主義的に、春(第1章)で竜巻に攫われたと言われていた東堂の鯉が空から降ってきて、パンツ総番長と監督の女性の頭の上で跳ね返ったことにより、パンツ総番長が目覚めて彼女と結ばれたのでした(アニメでは「象の尻」の女性は登場しません)。
舞台では、「偏屈王」最終幕上演中に、パンツ総番長が演じる偏屈王役を先輩が「俺こそが偏屈王だ!」と言って横取りしました。そして終幕後に、パンツ総番長が1年前に惚れていたのは女装姿の学園祭事務局長であったこと、さらには、1年前に例のリンゴを落としたのは「象の尻」の紀子であり、彼女がパンツ総番長に惚れていたことが発覚します。ここでパンツ総番長は学園祭事務局長にフラれるのですが、しかし、なんともご都合主義的に、降ってきた鯉がパンツ総番長と紀子の頭の上で跳ね返り、その二人は結ばれるという展開でした。
第六に、これはむしろ全体的な話なのですが、原作小説やアニメよりも登場頻度が増えたキャラクターが多々いました。李白、高坂先輩と奈緒子さん、東堂、古本市の少年と母親、乙女の姉などは、原作小説やアニメでは登場がない章でも舞台では登場していました。主要なキャラクターを演じた役者を、本役ではない役どころに回らせるのではなく、ストーリーに絡めて有効的に再登場させる脚本だったと思います。
以上を振り返れば分かるように、全体として各章の相互連関が強められて、オリジナル展開もある伏線回収の楽しい脚本構成となっていました(そもそも原作小説は、雑誌連載から始まっていたので、各章の相互連関は弱めなのです)。
役者について
13)やっぱり可愛い黒髪の乙女!
原作小説でもアニメ(CV:花澤香菜)でも黒髪の乙女は可愛かったのですが、久保史緒里さん演じる舞台版の黒髪の乙女も可愛かったですね!(元テレ東プロデューサーの佐久間宣行さんがラジオで語っていた通りでした)
ちなみに、久保さんの乙女に一番近かったのは、原作小説の表紙イラストやアニメの乙女よりは、原作小説(角川文庫)の「解説に代えて」における羽海野チカさんによるイラストの乙女でしょうか。
さて、やはり舞台上で最も印象に残ったのは、乙女のソロ歌パートですね。久保さんは全編を通じて(前半は特に)何曲も歌っていました。下のメイキング映像では、脚本の上田さんが作詞した歌「夜は短し歩けよ乙女」の稽古風景が観られます。
このメイキング映像では十分に伝わらないのですが、本番における舞台上の乙女はこれ以上の魅力を放っていました!! 説明が難しいのですが、小説やアニメでは表現しにくく、さらには実写映像でも伝わりにくい、生身の人間による歌声と動作の可愛らしさは、目の前で直に見ないと感じられないと思います! いずれにせよ、久保さんのファンは舞台を観に行くべきだったでしょうし、そうでなくとも円盤は購入すべきでしょうね(グッズ | 舞台「夜は短し歩けよ乙女」 <オフィシャルHP>)。ぼ~っ!とすること間違いなし!
14)歌舞伎な先輩!
もう一人の主役は、先輩役の中村壱太郎さんです。中村さんが歌舞伎役者ということもあって、劇中に歌舞伎要素が何度か織り込まれており、観客の笑いを誘っていましたね! 特に冬(第4章)において、風邪で寝込む先輩の脳内会議にて、先輩が多数の先輩に歌舞伎調で詰められる様は面白かったです笑
また、春(第1章)にて先輩はズボンとパンツを奪われるのですが、その間ずっと中村さんが舞台上でアキラ100%状態だったのはいちいち笑えましたね。
中村さんの素顔を一見すると、原作の表紙イラストやアニメから想起される人相とあまり似ていないようにも見えるのですが、いざ髪型をクシャっとさせて眼鏡をかけると、まさに実写版先輩にピッタリな人物が出来上がっていました!
15)コメディアンな役者たち
主役の2人以外で目立っていたのは、やはり竹中直人さんでしょう。竹中さんは、本役では李白を、さらに舞台オリジナルの「木屋町のナガブチ」役も演じていました。竹中さんはアドリブが一番多かったように感じました笑
各章にいちいち登場して、イギリス留学へ行かずに奈緒子さんをいつまでも追いかける高坂先輩は、登場するたびに客席の笑いを誘っていました笑
鈴木砂羽さん演じる羽貫さんは、(もちろんアルコールではないでしょうが)舞台上でリアルにジョッキを一気飲みしており、客席から拍手が沸き起こっていましたね。
その他、原作小説やアニメに比べるとコメディ要素が多々加えられており、各役者が観客の笑いを誘っていました!
おわりに
16)カーテンコール
舞台一般に言えるかは分かりませんが(劇団や千穐楽か否かで違いがあるかもしれませんが)、カーテンコールの作法に驚きました。
もちろん、終幕後に拍手をしてキャスト陣が登場し挨拶するのは想定済みだったのですが、拍手をし続けると4、5回もキャスト陣が登場して何度も挨拶してくれるのです!! また、記憶のある限りでは人生初のスタンディングオベーションをした気がします!
17)人生初舞台を観劇し終えて
今回、舞台に興味がなかった私が「夜は短し歩けよ乙女」舞台化の情報を手に入れたのは「奇遇」でした。
また、そもそも、そんな私が人生初舞台を観に行く気になったのは、森見登美彦さんによる原作がお気に入りの小説だからです。さらには、脚本・演出を、アニメ版でも演出を担当した上田誠さんが手掛けるということも積極的に作用しました(加えて、同じく森見さんの原作小説『四畳半神話大系』も、上田さんの脚本によってテレビアニメ化されています)。
上に記したように私の中の舞台に対するイメージは、もともと消極的な方へ偏っていました。しかし、原作小説の強い魅力が私の足を劇場へと向かわせたたのです。結果的に、観劇して大満足でした。舞台の内容はもちろん、舞台という芸術それ自体に心動かされるものがありました。
生来の出不精な私ですが、「何かの御縁」がありましたら、今度は足軽やかに舞台へ出かけたいと思います。
以上が舞台「夜は短し歩けよ乙女」を観劇して感激した感想です。なむなむ。
2021春アニメで購入したOP曲・ED曲
この記事では、2021春アニメのOP曲・ED曲のうち、私が購入した曲を紹介したいと思います(作品名五十音順)。
- 「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」ED
- 「ゴジラS. P.(シンギュラポイント)」ED
- 「シャドーハウス」ED
- 「スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました」OP
- 「スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました」ED
- 「戦闘員、派遣します!」OP
- 「戦闘員、派遣します!」ED
- おまけ①「劇場版 名探偵コナン 緋色の弾丸」ED主題歌
- おまけ②「ケロロ軍曹」OP
「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」ED
曲名:キスイダ!
歌手:如月玲於奈(CV:竹達彩奈)、アリシア(CV:ファイルーズあい)、ミザリサ(CV:井澤詩織)、結城楓(CV:古賀葵)
ED曲といえばバラード系・しっとり系が多いですが、この曲はかなりキャッチーです。セリフ量がかなり多いのですが、アリシアの「殺したいくらいにいいいいいいい!」が印象的ですよね! 購入したらフルバージョンが聴けるのですが、1番に負けず劣らず2番も過激な歌詞ですね笑
この曲名「キスイダ!」は一見して意味不明なのですが(「既遂だ」?)、歌詞で何度も繰り返されている「大好き」のアナグラムのようです。ちなみに、CDの2番には、同じメロディで結城宏(CV:山下大輝)による「キライダ!」も収録されています。購入するか歌詞検索してほしのですが、「キライダ!」の方ではゲームや女性陣に対するヒロの悲壮な愚痴が歌われています笑(試聴:如月玲於奈(CV:竹達彩奈)、アリシア(CV:ファイルーズあい)、ミザリサ(CV:井澤詩織)、結城楓(CV:古賀葵)の「TVアニメ「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」エンディングテーマ「キスイダ!」 - EP」をApple Musicで)
ED映像↓
「ゴジラS. P.(シンギュラポイント)」ED
曲名:青い
歌手:ポルカドットスティングレイ
アラレちゃんにしか見えないEDです。歌手はロックバンドの方のようです。
ED映像↓
フルバージョン↓
「シャドーハウス」ED
曲名:ないない
歌手:ReoNa
ED映像はセンスがあって非常に好みです。螺旋階段の場面と、スノードームならぬ煤ドームの場面が特に好きです。相変わらずReoNaさんのややハスキーがかった歌声も好きですね!
ED映像↓
MV↓
「スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました」OP
曲名:ぐだふわエブリデー
歌手:悠木碧
主人公・アズサ役として出演する悠木さんが歌っているのですが、なぜか名義はキャラ名ではなく役者名。脇役ではなく主役が歌っているのですから、キャラ名義でもよさそうですが。
寡聞にして知らなかったのですが、溶けそうな歌声は悠木さん特有の歌声みたいですね!
OP映像↓
MV↓
「スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました」ED
曲名:Viewtiful Days!
歌手:和氣あず未
フラットルテ役として出演している和氣さんが歌っています。フラットルテは第10話でも歌声を披露していましたね!
個人的にはED背景の幾何学模様が好きです!(「戦×恋(ヴァルラヴ)」EDを思い出しました)
ED映像↓
MV↓
「戦闘員、派遣します!」OP
曲名:No. 6
歌手:伊藤美来
魔王軍四天王のラッセル役(オッドアイの少年)として出演している伊藤さんが歌っています。
イントロの曲調からしてもっとキャッチーでアップテンポなメロディになるかと思いきや、Aメロ以降は予想外にゆったりめでEDっぽいです。歌詞検索して初めて気付いたのですが、「Operation No. 6」と歌っているんですね! ずっと「Operation No. 3」に聞こえていて「なぜ6ではなく3なのだろう?」と悩んでいました。
MV↓
「戦闘員、派遣します!」ED
曲名:Home Sweet Home
歌手:キサラギ=アリス(CV:富田美憂)、スノウ(CV:菊池紗矢香)、ロゼ(CV:村上奈津実)、グリム(CV:髙橋ミナミ)
4人バージョンも良いですが、それぞれのキャラの歌声を楽しめる個別バージョンもあるので、ぜひ試聴してみてください!(試聴:キサラギ=アリス (CV: 富田美憂), スノウ (CV: 菊池紗矢香), ロゼ (CV: 村上奈津実) & グリム (CV: 髙橋ミナミ)の「Home Sweet Home (TVアニメ「戦闘員、派遣します!」エンディング・テーマ) - EP」をApple Musicで)
ED映像↓
おまけ①「劇場版 名探偵コナン 緋色の弾丸」ED主題歌
曲名:永遠の不在証明
歌手:東京事変
先日、この映画を劇場で観て後日購入したので、ここで紹介します。
普段、テレビや配信で映画を観ても、エンドロールはスキップするか気もそぞろになって、ED主題歌を購入する気は起きないのですが、劇場にてスクリーンに集中するしかない状況では、大音量の迫力や映画本編の余韻も相まって、曲の魅力が染み入ってきて、やはり購入してしまいましたね!
MV↓
おまけ②「ケロロ軍曹」OP
曲名:ケロッ!とマーチ
先日、「水曜日のダウンタウン」を観ていたら、これとは別バージョンの「ケロッ!とマーチ」が登場しており、強烈に懐かしさが込み上げてきたので、ここで紹介します。
今さら気が付いたのですが、1分30秒という短いOP尺の中で1番も2番も収められているのですね! 縦横比が3:2とアナログ放送時代のものですが(2004年放送開始)、キャッチーな曲もアニメーションも、今見てもよくできているなあと感心してしまいます!
OP映像↓
ちなみに、YouTubeで何話か公開されていますので、是非ご覧になってみてください!
以上、7曲(+おまけ2曲)が私の購入した曲です!
アニメ「スーパーカブ」原付2人乗り騒動についての覚書――議論の整理と表現の自由の確保のための試論
テレビアニメ「スーパーカブ」第6話において、主人公が免許取得から1年未満にもかかわらず原付2人乗り運転という違法行為(罰則は10万円以下の罰金)を行ったシーンが描かれたことが、ネット上でプチ騒動となりました。
公式の見解は、ネットニュースに譲るとして、ここでは(第6話放送から数週経過してしまいましたが)、議論を整理した上で、表現の自由の確保のための試論を述べたいと思います。
議論の整理
そもそも、実際にアニメを視聴した上で、怒りや憤りを感じて批判的コメントを表明した人はかなり少ないと思われます。法律違反であることを指摘した人であっても、それは単なる事実の指摘や知識の披露にとどまる程度の意図しかない場合が多数かと思われます。
とまあ、以上は話の枕に過ぎないのですが、いずれにせよ、批判は以下の3つの懸念に大別されそうです(参照1 )。
批判① 誤解懸念
違法行為があたかも合法であるかのように描写されることによって、それを視聴した者が合法であると誤解することへの懸念。
批判② 反遵法懸念
違法行為の肯定的・推奨的な描写が、それを視聴した者の遵法精神や規範意識に対して否定的・消極的に作用することへの懸念。
批判③ 模倣懸念
誤解懸念や反遵法懸念からさらに進んで、現実世界で違法行為を模倣する人が現われることへの懸念。
上記三種の懸念に対しては、たびたび他の事案において議論になるのと同様に「スーパーカブ」についても、以下のような反論が出されています。
反論①「フィクションだから問題ない」「フィクション上の描写を真に受ける人はいない」
この見解は、上記三懸念に対して真っ向から反論します。しかし、フィクション上の描写を見て、実際に誤解し、実際に反遵法精神を抱き、実際に模倣する原付ライダーが存在するのか否かは、実証研究が(おそらく)ないため、そしてネット上での散発的な匿名の論争に終始しているため、議論は平行線のままです。
そこで、「上記三懸念が妥当なものか否かの証明責任はどちらに配分されるべきか」と問題設定する方法が浮上します。これに答えを出してくれるのが、次の②です。
反論②「フィクション上の表現は(可能な限り)自由であるべきだ」
この見解は、実在する特定人の人格や名誉を侵害するような表現やヘイトスピーチ/ヘイトクライム的な描写、あるいは現実の具体的害悪を扇動するような表現に至らない限り、フィクション上の表現の自由を最大限に尊重するものです。この見解は、憲法で保障された表現の自由に基づいている点において説得的です。また、この見解は「表現の自由:原則―その制約:例外」という図式を前提としますので、①で問題になった証明責任は、上記三懸念を表明する批判者側に配分されることになります。
しかし、この見解は、テレビの公共性を無視・軽視しています。選択肢が限られ、誰でも比較的簡易にアクセスでき、それゆえに影響力の大きいメディアとして、(新聞・雑誌・書籍などとは異なり)テレビ放送は法律(放送法)による規制を受けています。放送法の規制が今回の「スーパーカブ」の事案で直接問題になるとは考えにくいですが、やはりテレビの公共性を無視した議論はできません。上記三懸念の背後には、テレビの公共性が存在するのです。
反論③「批判の背後には、『少女は違法行為をしない/してはならない』という偏見がある」
このような見解は私にとっては新鮮であり、非常に興味深く読みました(参照2・参照1)。
一定の説得力を感じるとともに、上記三懸念の背後にある批判者の心理に着目しているので、表明された懸念それ自体とは直接に議論が嚙み合っていません。それ以上の議論があまり期待できないのが残念です。
反論④「実際のところ、このような軽微な法律違反は日常茶飯事であり、取り締まられることも稀である」「軽微な違法行為は寛容すべきだ」
この見解は、違法行為の実質――つまり、取り締まりの実態や当罰性の程度――に着目して、実質論・実際論として問題ないと結論付けます(参照3・参照4)。
しかし、私たちの代表者たる国会が禁止すべきものとして公式に定めた違法行為を、個人的な経験談(の集合)によって、違法行為ではないかのように扱うことに問題なしとはできません。経験談ベースで議論するとすれば、実際にこれを軽微な法律違反と捉えていない人もいますし(参照5)、反遵法懸念はまさにこの点を問題としているのです。
そもそも、個人的な経験談(の集合)にとどまらない実態論・実質論、言い換えれば、国が正式に定めた法律をオーバーライドできるほどに――つまりは将来的な法律の改正や執行停止、あるいは違憲訴訟に繋げられるほどに――実証的・学術的・権威的な実態論・実質論が提示されているのでしょうか。
反論⑤「殺人などのフィクションで頻繁に描写される他の重大な法令違反に対して批判を行っていないため、批判者には一貫性がない」
この見解は、批判の内容それ自体ではなく、批判者の議論に対する誠実性を問題としています。この見解は、一定の説得力はありますが、上記三懸念に対する直接の反論になっていません。
もっとも、模倣懸念が誤解懸念や反遵法懸念を不可欠の前提としている場合には、違法行為であっても誤解的・推奨的に描かれていない限りは、言い換えれば、違法行為が違法行為として否定的に――つまり視聴者が模倣しないように――描写される限りでは、批判者はこれを批判する必要はありません。よって、⑤の反論はその点において成立しません。
ただし、批判者が模倣懸念と誤解懸念・反遵法懸念とを厳密に区別しているのかは怪しいところですし、そのように厳密に区別している批判者はごく少数にとどまるものと思われます。
以上、議論の状況を概覧しましたが、やはり上記三懸念に対しては①②の反論が説得的だと思われます。しかし、①②で十分という訳ではありません。上述の通り、テレビの公共性は無視・軽視されてはならないからです。
そこで、続いては、表現の自由の尊重とテレビの公共性に基づく懸念の調和可能性を探りたいと思います。
表現の自由とテレビの公共性の調和可能性
ここでは、批判者が批判できない最低限のラインを探ることによって、表現の自由の尊重とテレビの公共性に基づく懸念の調和可能性を見出したいと思います。
誤解懸念・反遵法懸念・模倣懸念に基づいて批判者は主張を行いますが、逆に言えば、これらの懸念が存在しないような描写については批判が成立しません。具体的には、下記の場合には、懸念が存在しないと言えるでしょう。
1)周知されている違法行為の場合
殺人・傷害・暴行・窃盗・強盗・強制性交・放火など、多くの人々にとって違法行為(犯罪)であると認識されている行為、言い換えれば、一見して多くの人々にとって反道徳的・反社会的でありそれ故に違法化されていることが明白な行為については、基本的に、上記三懸念は存在しないでしょう。フィクション以前の常識として、人々が問題の描写について誤解したり反遵法精神を抱いたり模倣したりする懸念は存在しないと考えてよいと思われます。実際に、警察や探偵の登場するドラマやアニメなどで頻繁にこの手の違法行為は描写されますが、批判する者は見かけません。
しかし、違法行為の描写の存在それ自体と、違法行為の描写方法とは分離して考えるべきでしょう。前段落の議論が前提としているドラマやアニメは、警察・検察・裁判官、あるいは探偵といった典型的には遵法側に配置される者を中心に据えたり、一般市民は遵法精神をもって社会生活しているという純朴な想定に基づいているからです。多数派のドラマやアニメは、やはり人々の正義や遵法精神に適合するものでしょう。
そのため、少数派かもしれませんが、違法行為を一定の方法で描写する表現をテレビで放送することには慎重になる必要があると思われます。具体的には、違法行為を過度に肯定的・積極的に描写したり、直接に推奨したり、洗脳したりするような表現です。
この点、「スーパーカブ」において、(私は原作を読んでいないのですが)原作読者によれば(参照5)、主人公がネズミ捕りをする警察を目の敵にしたり、原付2人乗りを重要なことと捉えていない、といった主人公の独白が原作ではあったらしいのに対して、アニメではそれを直接表現する描写はありませんでした。おそらく、製作者側は(本田技研側の影響もあるかと思いますが)、違法行為を肯定的・積極的に描写すべきではないと判断し、アニメ化に際して原作ではあった上記の独白を削り、その肯定的・積極的な作用を最低限に抑えようとしたのだと思います。
2)現実の当事者が違法行為であると認識している蓋然性がある場合
1)での議論は、それほど珍しくないと思います。しかし、「スーパーカブ」騒動の場合は、こちらの2)の方が重要になると思います。
すなわち、世間一般に周知されていなくとも、現実の当事者が違法行為であると認識している蓋然性(高い可能性)がある場合には、上記三懸念は存在しないと言えるのではないでしょうか。
「スーパーカブ」に照らして具体的に言えば、原付バイクを運転するためには免許が必須ですが、その取得のためには関連する交通法規について知っておく必要があります。つまり、現実世界で実際に原付バイクを運転する当事者は、免許制度を通じて、「スーパーカブ」で描写された2人乗りが違法行為であることを認識しているのです。
したがって、フィクション以前の常識が現実の当事者にあることを示す免許制度が存在している以上は、批判者の懸念対象(アニメを視聴したことにより、合法だと誤解する人、反遵法精神を抱く人、模倣する人)は、実際には(懸念するほどには)存在しないと言ってもよいのではないでしょうか。少なくとも、批判者は、自身の懸念の対象となる人々が免許を取得した者であることはきちんと考慮すべきでしょう。
以上を踏まえると、少なくともこれら2つの場合については、批判者のいう懸念は存在しないと思われます。これらの場合については、批判者の懸念は的外れか検討不十分であり、製作者側が過度に萎縮して自主規制する必要はないと思います。
実際の個別具体的な事例において、表現の自由とテレビの公共性を調整することは難しいかもしれませんが、製作者側には表現の自由を自らの手で縮減してしまわない責任と気概を持っていて欲しいものです。
全体としてやや一般論に傾きましたが、私の結論としては、アニメ「スーパーカブ」の原付2人乗り描写は問題ないと考えています。今後の放送話も楽しみです。
アニメはめふら第2期は7月2日放送開始&第2弾PVが公開中!【乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…X】
アニメ「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…X」(第2期)ですが、2021年7月2日(金)深夜25時25分(MBS/TBS系列)から放送開始だそうです!
👑7月2日より放送開始!🐍
— 「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…X」TVアニメ公式 (@hamehura) 2021年5月28日
2021年7月2日毎週金曜日深夜1時25分よりMBS/TBS系全国28局ネット“スーパーアニメイズム”枠での放送が決定📺⚡️
新たに、メインキャラクターたちが勢揃いの、第2弾キービジュアルを公開✨
▼公式HPはこちらhttps://t.co/23jKtQdApS#はめふらX pic.twitter.com/5yFXK1eRST
あわせて、なぜか最後の晩餐っぽい第2弾キービジュアルも公開されましたね!
第1期からのメンバーのほかに新規キャラクターは、右から順に、
・第一王子のジェフリー・スティアート(銀髪)CV:子安武人
・その婚約者のスザンナ・ランドール(黒髪)CV:上坂すみれ
・バーグ家執事のルーファス・ブロード(青髪)CV:鳥海浩輔
・第二王子のイアン・スティアート(金髪)CV:白井悠介
・その婚約者のセリーナ・バーグ(薄茶髪)CV:小倉唯
となっています! 第1期に引き続き声優陣が豪華ですね!
そして、キービジュアル左上の子犬と右上のクマのぬいぐるみは、それぞれ原作4巻のキーアニマル&キーアイテムです! 原作4巻がアニメ化されることは間違いないですね!
また、ティザーPVと第1弾PVに引き続き、第2弾PVも公開されました!
ティザーPV↓
第1弾PV↓
第2弾PV↓
ここで、第2弾PVを見たコメントを少しだけ記していきたいと思います(ほんのりネタバレ注意!)
解釈に困ったのは、このドラゴンの場面です。一見すると、原作6巻の場面のように思えます。たしかに、そこでも黒いドラゴンが登場するのです。
しかし、背景は、原作では洞窟内なのに対してPVでは屋外っぽく、ドラゴンは、原作では火を噴かないのに対してPVでは火を噴き、カタリナは、原作では剣を使わず攻撃するのに対してPVでは剣を使用しています(そもそもカタリナは、剣は不得手です)。
そうすると、アニメ的に改変された原作6巻のシーンの可能性も捨てきれませんが、PVのドラゴンの場面は、おそらくアニメオリジナルのエピソードのシーンだと思われます……たぶん。
いずれにせよ、アニメの放送を待ちましょう!!
さらに、主題歌については、第1期と同じ歌手が担当されます!
OPは、angelaによる「アンダンテに恋をして!」で、第2弾PVにて既に公開されています! アンダンテは、速度記号を表す音楽用語で、イタリア語で「歩くような速さで」という意味らしいですね。
EDは、ジオルド役の蒼井翔太さんによる「give me ♡ me」で、まだ公開されていません。
7月2日の放送開始が楽しみです!!
女の子が主人公のアニメおすすめ10選!!(第二弾)
以前、このブログで選りすぐりの女の子が主人公のテレビアニメを10作品紹介しましたが、この記事では第二弾としてさらに10作品紹介したいと思います!!(YouTubeのPVとニコニコ動画の無料第1話リンクもあり)
2019年~2020年放送の作品中心、ギャグ・コメディ系多め、ファンタジー系多め、となっております!
- あそびあそばせ(2018年)
- 荒ぶる季節の乙女どもよ。(2019年)
- 女子高校の無駄づかい(2019年)
- 厨病激発ボーイ(2019年)
- 本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません(2019年・2020年)2期
- Fairy gone(2019年・2020年)2クール
- 推しが武道館いってくれたら死ぬ(2020年)
- 乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…(2020年・2021年)2期
- 魔女の旅々(2020年)
- ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会(2020年)
あそびあそばせ(2018年)
この作品は、女子中学生による結構ハードなコメディです。OPの清楚な雰囲気はどこへやら、本編では奇声・変顔のオンパレードです(詐欺OPと呼ばれていました)。
また、注目すべきは声優の全力演技です。メインキャラクターを担当した3人の出世作でもあります。香純役の小原好美さんは、藤原書記(かぐや様は告らせたい)やシャミ子(まちカドまぞく)などでよく知られています。どこから声を出しているか分からない熱演を見せてくれた華子役の木野日菜さんは、その後にランカ(群れなせ!シートン学園)というハマリ役を引き当てていましたし、オリヴィア役の長江里加さんは、星野ひなた役(私に天使が舞い降りた!)としてピュアな小学生役を演じています。
原作:涼川りん(ヤングアニマルコミックス、2021年5月現在既刊11巻)
制作:Lerche
日本生まれ日本育ちでまったく英語ができない金髪の美少女・オリヴィア、真面目で知的な雰囲気を漂わせながら英語がまったくできないショートカットの眼鏡っ娘・香純、そして明るいけれど、リア充になれないおさげ髪の少女・華子、3人の女子中学生が作ったのは「遊び人研究会」!? 最高に可愛くて最高に楽しい抱腹絶倒のJCガールズコメディが今、幕を開ける!
あそびあそばせ 第1話「等価交換」「チープなスリル」「遊び人」「優しい変態」 アニメ/動画 - ニコニコ動画
荒ぶる季節の乙女どもよ。(2019年)
原作・脚本を岡田麿里さんが担当した作品です。「“女子を主人公”にして“性”に焦点を当てる」という他の多くの作品とは一線を画すラブコメは、岡田麿里さんならではでしょう。
メインキャラクターの女子高生たちは、「恋愛が性に振り回される」という傍から見れば可笑しな状況に陥ってしまいます。しかし、彼女たちは至極真面目に自分自身の“性欲≒恋愛感情”、そして“性欲の対象≒恋愛対象”に向き合うのです。
第1話の掴みが最高のアニメなので、次話以降を早く見たくなるに違いありません。
原作:岡田麿里・原作/絵本奈央・漫画(講談社コミックスマガジン、全8巻)
制作:Lay-duce
高校の文芸部に所属する小野寺和紗たち女子5人。「死ぬ前にしたいこと」という話題で沸いたある日、部員の一人が投じたある一言……。その瞬間から、彼女たちは“性”に振り回され始める。
第1話がYouTube上で無料公開されています↓(カットされている第1話末尾の衝撃シーンはニコニコ動画で視聴できます)
ちなみに、この作品は実写ドラマも良い出来でしたので、是非ご覧になってください。
ドラマイズム「荒ぶる季節の乙女どもよ。」-【MBS】毎日放送
女子高校の無駄づかい(2019年)
女子校を舞台とするコメディ作品です。アニメ界隈ではすっかりお馴染みの「おもしれー女」を定着させた作品でもあります。
基本的にはコメディ路線でありながらも、決して「無駄づかい」ではない青春なシーンが各所に入り込むのがこの作品の魅力でもあります。シリアスに振り切ることなく、コメディと青春が良い塩梅に昇華されたアニメとなっています。
原作:ビーノ(角川コミックス・エース、2021年5月現在既刊8巻)
制作:パッショーネ
ちょっと残念な女子が集う、さいのたま女子高校を舞台に、とてつもないバカ・田中(通称:バカ)、アニメや漫画を愛するオタク女子・菊池(通称:ヲタ)、いつも無表情でロボットのような少女・鷺宮(通称:ロボ)を中心に、個性豊かで魅力的な仲間たちが、女子高生というキラめきに溢れた青春を無駄に浪費していく抱腹絶倒のJK学園コメディが今、幕を開ける!
ちなみに、この作品は実写ドラマもなかなかの出来でしたので是非ご覧になってください。
女子高生の無駄づかい 第1話「すごい」 アニメ/動画 - ニコニコ動画
厨病激発ボーイ(2019年)
高校を舞台とする厨二病学園コメディ作品です。
今まで紹介してきた主要登場人物が女子ばかりの作品とは異なり、このアニメは、主人公は女子ですが、その脇を固めるメインキャラクターの5人は男子です。しかし、だからといって、少女漫画的な恋愛要素たっぷりの逆ハーレム作品ではありません。むしろこのアニメは、恋愛要素が(ほとんど)なく、厨二病コメディが織り込まれた泥臭くも爽やかな学園青春モノに仕上がっているのです。
原案:れるりり(Kitty creators)
原作:藤並みなと(角川ビーンズ文庫、全5巻、続編あり)
制作:スタジオディーン
わけあって中途半端な時期に皆神高校に転入した高校生、聖瑞姫。瑞姫がそこで運命的に出会ったのは、厨二病をこじらせまくった残念男子たち――「ヒーロー部」。
なぜかヒーロー部の活動に巻き込まれていく瑞姫は、彼らが繰り広げるノンストップな妄想と暴走に振り回されて、もはやツッコミが追いつかない! 疲れている暇もない! 「……おかしい。私が望んだのは平穏な高校生活だったはずなのに……!」 平穏な高校生活を望む瑞姫と、厨二病男子たちが織りなす、妄想炸裂なドタバタ厨二病学園コメディ、開幕☆
厨病激発ボーイ 第1話「そうさ 俺は目覚めてしまった」 アニメ/動画 - ニコニコ動画
本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません(2019年・2020年)2期
この作品はおそらく、女性が主人公の異世界転生ファンタジー作品の中で一番人気でしょう。
バトル&ハーレムばかりの異世界転生ファンタジーがあふれる最近のトレンドにもかかわらず、この作品は、派手なアクションシーンこそありませんが、主人公の女の子の「本を読みたい」という一貫したテーマの下で丁寧に物語が紡がれてゆきます。
ファンタジー作品なので、魔法も登場するには登場するのですが、むしろ主人公は魔法を自由自在に操るような存在として描かれてはいません。主人公は魔法も剣技も格闘も得意ではなく、持っているのは転生前からの知識だけですが、その特異な知識を持つ彼女をむしろ周辺の人々が囲い込み利用しようとするのです。
ストーリー展開や世界観設定のきめ細かさを楽しみたい方におすすめの作品です。なお、第一部~第二部がすでに放送され、第三部のアニメ化も決定しています。
TVアニメ「本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません」公式サイト
原作:香月美夜(TOブックス、本編全26巻ほか)
制作:亜細亜堂
活字中毒で本を偏愛する大学生・本須麗乃は、不慮の事故で命を落とす。それは、念願である図書館への就職が決まってすぐのことだった。
気が付くと麗乃は、貧しい兵士の娘・マインとして転生していた。そこは、魔法を持つ貴族が支配し、厳しい身分制度が存在する異世界の街・エーレンフェスト。マインは、本があれば生きていけると自分を鼓舞する。
ところが、識字率が低く印刷技術もないこの世界では、貴重で高価な本はお貴族さまのもの。
兵士の娘では、とても手が届かない。どうしても本が読みたいマインは決意する。「本がなければ作ればいい」体力もない。お金もない。あるのは麗乃時代に読み漁った読書による膨大な知識だけ。果たして、マインは本を作ることができるのか!? マインの本を作る冒険が、いま始まる。
本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません 第一章『本のない世界』 アニメ/動画 - ニコニコ動画
Fairy gone(2019年・2020年)2クール
P. A. WORKSのオリジナルアニメですが、ここ数年流行している異世界転生ファンタジーとは異なる、本格派のファンタジー作品です。以下の二点においてオリジナルの強みが生かされています。
第一に、異世界に転生・転移するわけでもゲームにダイブするわけでもなく、またクエストや復讐の繰り返しがテンプレの異世界転生ファンタジーではないため、ストーリー展開が読みにくい=オリジナリティの高い作品です。
第二に、妖精・妖精原体・妖精成体・妖精兵・人工妖精・妖精武器といったファンタジー要素や、ドロテア・妖精省・五公・統一戦争といった政治制度・歴史など、独自の世界観が詳細に作り込まれています。
最近の流行から離れて、オリジナリティの高いファンタジーアニメを見たい方におすすめの作品です。
TVアニメ「Fairy gone フェアリーゴーン」公式サイト
原作:オリジナル
制作:P. A. WORKS
この世界には、動物に憑依することで不思議な力を宿す妖精が存在していた。妖精が憑依した動物の臓器を摘出し、人間に移植することで、妖精を分身として出現させ、兵器として扱えるようになる。妖精を戦争の道具として自在に操る兵士たち、彼らは『妖精兵』と呼ばれた。だが、長きにわたる戦争が終結すると、彼らはその役目を果たし、行き場を失ってしまう。あるものは政府に、あるものはマフィアに、あるものはテロリストに、それぞれの生きる道を選択していった。
戦争から9年の歳月が経つ。未だ不安定な政治情勢の中、戦争によって受けた傷や過去を持つ犯罪者が現れ、復讐のためテロを起こすようになっていた。主人公の少女マーリヤは、ある事件に関わった事から妖精に関連する事件を捜査・鎮圧する違法妖精取締機関『ドロテア』に入隊することとなる。
これは、無秩序な戦後に抗い、それぞれの正義を求め戦う『妖精兵』たちの物語――。
Fairy gone フェアリーゴーン 第1話『灰かぶりの少女』 アニメ/動画 - ニコニコ動画
推しが武道館いってくれたら死ぬ(2020年)
ローカル地下アイドルとそれを応援するファンの物語です。
控えめなアイドル・舞菜と彼女を応援する熱狂的オタク・えりぴよは、交わす言葉が少なく、互いが互いを大切に想っていることが伝わらないもどかしさがあります。アイドルとファンの双方の想いが描写され、「アイドルとオタクの理想的な関係」が詰まった作品となっています。また、良作アニメでは(概して太り気味の)おじさんが活躍すると言いますが、このアニメも例外ではありません。クマサさんは最高のオタクです。
アイドルも、彼女たちを応援するファンも、応援したくなる作品です。
原作:平尾アウリ(リュウコミックス、2021年5月現在既刊7巻)
制作:エイトビット
岡山県在住のえりぴよは、マイナー地下アイドル『ChamJam』のメンバー・舞菜に人生を捧げている熱狂的なオタク。えりぴよが身を包むのは高校時代の赤ジャージ。えりぴよが振り回すのはサーモンピンクのキンブレ。えりぴよが推すのは舞菜ただ一人。収入の全てを推しに貢ぎ、24時間推しのことを想い、声の限りを尽くして推しの名前を叫ぶその姿はオタク仲間の間で伝説と呼ばれ、誰もが一目置く存在となっていた。『いつか舞菜が武道館のステージに立ってくれたなら……死んでもいい!』 そう断言する伝説の女・えりぴよのドルオタ活動は、アイドルもオタクも巻き込んで今日も続く……!
乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…(2020年・2021年)2期
最近流行の「悪役令嬢/乙女ゲーム転生」作品の先駆けにして一番人気の作品です。
女性向けレーベルのラノベを原作とするアニメにもかかわらず、男女双方から愛されている作品です。乙女ゲームの世界を舞台としているので恋愛要素は当然なのですが、全体的にコメディ調で見ていて非常に楽しい仕上がりになっています。悪役令嬢に転生した主人公・カタリナは、人たらしな性格によって男女問わず登場人物たちを篭絡していくのですが、破滅エンドの回避に必死な(そして鈍感な)彼女は周りからのアプローチに気付かないのです。カタリナも彼女にアプローチする周りの登場人物も、誰もが素敵なキャラをしているので、どの登場人物も好きになってしまうでしょう。
なお、映画化も決定しています。
TVアニメ『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』公式サイト
原作:山口悟(一迅社文庫アイリス、2021年5月現在既刊10巻)
制作:SILVER LINK.
公爵令嬢、カタリナ・クラエスは、頭を石にぶつけた拍子に前世の記憶を取り戻す。ここが前世で夢中になっていた乙女ゲーム『FORTUNE LOVER』の世界であり、自分がゲームの主人公の恋路を邪魔する悪役令嬢であることを! ゲームでカタリナに用意されている結末は、ハッピーエンドで国外追放……バッドエンドで殺されてしまう……そんな破滅フラグはなんとしても回避して、幸せな未来を掴み取ってみせる!! 勘違い?人たらしラブコメディの幕が上がる。
乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった… 第1話「前世の記憶を思い出してしまった…」 アニメ/動画 - ニコニコ動画
魔女の旅々(2020年)
アニメ界隈で「そう、私です」を流行らせたファンタジー作品です。
魔女の少女イレイナが各地を旅しながら紡ぐ物語ですが、一話完結型のストーリーなので見やすいのではないでしょうか。各話、コメディな結末もあればビターな結末もあり、それらを通じて成長してゆくイレイナを見ることができます。また、前のエピソードに出てきたキャラクターが再登場するという嬉しい展開も用意されています。
美人の自覚があるというイレイナの珍しいキャラ設定、露骨な百合描写、美麗な背景も見どころとなっています。
原作:白石定規(GAノベル、2021年5月現在既刊16巻)
制作:C2C
あるところに一人の旅人がいました。彼女の名はイレイナ。若くして魔法使いの最上位「魔女」となった才女です。 幼いころに読んだ旅の物語に憧れて、流されるように気ままな長い旅を続けています。 この広大な世界を自由に渡り歩き、わけのわからない可笑しな人や、誰かの美しい日常に触れながら、 彼女は旅人として、これといった目的もなく、色々な国や人との出逢いを繰り返します。そして同じ数だけの——。「構わないでください。私、旅人なものですから。先を急がなければならないのです」 そんな魔女イレイナが紡ぐ、出逢いと別れの物語……。
魔女の旅々 第1話「魔女見習いイレイナ」 アニメ/動画 - ニコニコ動画
ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会(2020年)
「ラブライブ!」シリーズに位置づけられる作品ですが、µ’s(無印)やAqours(サンシャイン)などの過去シリーズを見ていなくても楽しむことができます。
本作品の見どころは、毎話スクールアイドルの彼女たちがそれぞれ歌って踊るのですが、それがミュージックビデオ風に演出されるところでしょう。ミュージックビデオのように背景や衣装が次々と切り替わってゆき、一度で何度も楽しめる演出となっています。
キャラクターを演じる声優が実際にライブ出演も行うなど、2次元だけでなく3次元でも楽しめるコンテンツとなっています。また、2022年には第2期が放送される予定です。
原作:オリジナル(メディアミックス)
制作:サンライズ
東京・お台場にある、自由な校風と専攻の多様さで人気の高校「虹ヶ咲学園」。スクールアイドルの魅力にときめいた普通科2年の高咲侑は、幼馴染の上原歩夢とともに「スクールアイドル同好会」の門を叩く。時にライバルとして、時に仲間として、それぞれの想いを胸に日々活動するメンバーたち。「夢を追いかけている人を応援できたら……。」 9人と1人の少女たちが紡ぐ、初めての「みんなで叶える物語」。届け!ときめき――。いままた夢を、追いかけていこう!
ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第1話「はじまりのトキメキ」 アニメ/動画 - ニコニコ動画
第一弾はこちら!
(追記)こんな記事も書きました!
カップルの別れ話における構造的不均衡について――いかにしてフラれた側は傷つけられる状況に置かれるのか?
この記事では*1、「交際関係にあるカップルの別れ話に際して、交際終了を言い出した側よりも、交際終了を言われた側の方が不利で傷つきやすい構造に置かれる傾向がある」という問題について検討してみたいと思います*2。
ここで問題の対象としているのは、別れ話において交際終了を言い出した側が話す内容それ自体ではありません。むしろ問題の対象は、その別れ話が行われる構造なのです。以下に目次を掲げるので、それを見た方が分かりやすいかもしれません。
- 第一の構造的不均衡:別れ話のための心の準備の相違
- 第二の構造的不均衡:交際終了に反論するための十分な時間がない
- 第三の構造的不均衡:一方的・片面的な攻撃防御構造
- 第四の構造的不均衡:一方的・片面的な精神的ダメージ
- おわりに:構造的不均衡をどうすべきか?
- 参考記事
なお、パッと見て分かりにくいので、以下では、「交際終了を言い出した側」を「A」と呼び、「交際終了を言い出された側」を「B」と呼びます。
ちなみに、ここでは次のような前提条件を念頭に置いています。
- カップルは、法律婚をしておらず、同棲状態にもない。
- 別れ話は、(電話や文章ではなく)対面によって行われる。
- 別れ話は、交際終了を目的とするものであって、恋愛的な駆け引きや関係改善を目的とするものではない。Aは本当に交際終了したい。
- Bとしては、にわかには交際終了を承諾できない。可能であれば、Aを説得して交際を継続したい。
- 別れ話にカップル以外の第三者は立ち会わない。
いろいろと前提条件を並べましたが、ある程度の一般性は維持されているのではないかと思います。
第一の構造的不均衡:別れ話のための心の準備の相違
概して、別れ話は、Bにとって突然の出来事です。
「別れ話をしたいから会いたい」なんて予告をするAは少数派なはずです。多くの場合、別の口実を使ったり、特に目的を言わなかったりして、AはBと会います。
あるいは、「重要な話があるから会いたい」くらいは事前に告知されるケースもあるかもしれません。しかし、この場合でも、Bは別れ話がちらりと脳裏に浮かんだとしても、ありうる可能性の一つとして想定するに過ぎない(つまり、別れ話に違ないという確信はない)はずです。
そうすると、たいていの場合において、BはAからの別れ話を、なんの心の準備もできないまま迎えることになります。
それに対して、Aは、事柄の性質上、自分が望むだけの時間をかけて別れ話の準備をすることができます。
どれだけの程度において別れ話の準備に悩むのかは人それぞれですが、一般的には、Aは別れ話の準備として、①交際終了の理由と、②本当に交際を終了すべきかどうかの確信の程度に悩むことになると思います。
①については、一般的に、交際関係にあるカップルにとって、交際の維持こそが原則的な姿勢であって、交際の終了は例外的な出来事です。そのため、別れ話に際しては当然、Aの側が交際を終了したい理由を述べる必要があります*3。
②については、①と同様に、あるいは①以上に、Aは思い悩むことになると思います。たとえ結果的に交際を継続するとしても、一度でも別れ話をすればその事実を消し去ることはできません。別れ話をした過去は、将来にわたってその二人の間に通奏低音のように残り続けることになります。時間が経てばその過去の記憶は薄れてゆくかもしれませんが、(表面的でないにせよ)ほぼ間違いなく二人の間には気まずさが存在します。よって、Aとしては、もし結果的に交際を継続するならば、最初から別れ話をしなければよかったと後悔することになります*4。
したがって、Aは、自身が望むだけ時間をかけて、①Bを納得させられるだけの交際終了の理由を考えて、②本当に交際を終了すべであるとの十分な確信を持って、別れ話に臨むことになります。
以上から、別れ話に際しては概して、Aには十分な心の準備があり、Bには準備がない、という構造的不均衡が存在することが分かります。
このような心の準備の差によって、不意打ちを食らったBだけが一方的に動揺し冷静さを失うことになります。このような状態のBはAが述べる交際終了の理由に対して理路整然とした反論ができず、そのためにAの言い分が正しいという外観が出来上がってしまい、結果としてBは交際終了を受け入れてしまうことになるのではないでしょうか。
逆に、Aの側に立てば、別れ話をする場合には、不意打ちの方が成功率は高そうです*5。
第二の構造的不均衡:交際終了に反論するための十分な時間がない
第二の構造的不均衡は、第一の構造的不均衡と密接な関係にあります。
前述のように、別れ話に際して、Aは十分な心の準備ができ、Bはそれができないという構造的不均衡は、Aが主張する交際終了すべき理由に対する反論を考える十分な時間がBにはないという構造的不均衡を生み出します。
Bが何事にも動揺しない性分で、何があっても素早く理路整然とした論理を組み立てることができる人物なら、この構造的不均衡は問題になりませんが、そういう人物はなかなか存在しないため、たいていの別れ話の際には問題になるかと思います。
ところで、別れ話には、(理念的には)大きく分けて2つの方式が想定できます。1つ目は、両者の合意によって交際終了する方式(合意方式)、2つ目は、A側の一方的・最後通牒的な交際終了の宣言によって交際終了する方式(一方的宣言方式)があります。
合意方式は、一般的に交際が両者の合意によって開始することと対応しています。婚姻関係(法律婚)も、両者の合意が記された婚姻届の提出・受理によって開始し(結婚)、両者の合意が記された離婚届の提出・受理によって終了します(離婚)。
婚姻関係との類比で、交際関係の終了についても、合意方式が採用される場合もあり得ます。しかしながら、夫妻という法的な身分関係を形成する婚姻関係と、(婚約などしない限り)何らかの法的な身分関係を形成するものではない交際関係を、同列に語るのは適当ではないかもしれません。
そこで、交際関係においては、一方的宣言方式が採用される場合があります。この方式は、個々人が自身の身分について他人の意思とは関係なく自分自身で決定することができるという現代の個人主義的・自由主義的な潮流と合致します*6。
世のカップルにおいて、実際にどちらの方式が多く採用されているのか、あるいはどちらが社会一般の常識なのか私は知りません。とはいえ、いずれにせよ、戦略的には、交際終了したいA側にとっては一方的宣言方式が望ましく、交際終了したくないB側にとっては合意方式が望ましいことになります。
ここで留意しなければならないのは、基本的に、どちらの方式を採用するかについての主導権はAにあることです。別れ話をどちらの方式にするかについて事前に合意をしていたり、(たとえば、暴力や経済的依存など)AB間にB側に有利な権力関係があったりするなど、特別な事情がない限りは、Aは一方的宣言方式を採用する方が合理的な判断だからです。さらに言えば、Aとしては、別れ話を言い出したその際に、Bから交際終了の同意を得るか、一方的に交際終了を宣言しておいた方が合理的です。後日、Bから交際終了に対する諾否の回答を得るようでは、Bに十分な時間と準備を与えてしまい理路整然とした反論を受ける可能性があるからです。
実際も(上記の戦略について意識的にせよ無意識的にせよ)、一方的宣言方式や、一方的宣言方式に近い合意方式(事前の十分な時間と準備があれば同意しなかったかもしれないBが、Aから不意打ち的に交際終了を言い出され、それに動揺し押し切られて渋々同意する方式)が多いのではないでしょうか?
ここで話を戻すと、一方的宣言方式において行われることが多い別れ話においては、Aが主張する交際終了すべき理由に対する反論を考える十分な時間がBにはなく、その結果、交際終了に押し切られる、と推論できます。たいてい、Bは、十分な時間がなければ、十分な反論を考えることもできません。そのため、Aが事前に十分な時間をかけて固めた交際終了すべき理由と、その場で咄嗟に考えざるを得ないBの反論は、その構造からして、Aの側に有利なのです。
第三の構造的不均衡:一方的・片面的な攻撃防御構造
第三の構造的不均衡は、攻撃防御構造に関する不均衡です。
第一・第二の構造的不均衡のところでみたように、Aは、十分な準備と時間をかけ、交際終了すべきであるという意思を固めて別れ話に臨みます。
そのため、Aは、交際終了という目的を果たすため、Bに嫌われる覚悟でBを突きなすような交際終了の理由を語ることになります。具体的には――Aのいう交際終了の理由が「気持ちが冷めた」「他に好きな人ができた」のようなA側の一方的な事情(言い換えれば、Bに帰責・起因しない事情)であっても――別れ話が長引き拡散すれば*7、「Bには○○に気付いてほしかった」「Bの○○なところが嫌だった」「本当はあのとき○○してほしくなかった」「Bの○○は気持ち悪いと思っていた」などのBに対する不平不満をAは少なからず語ることになるのです*8。
その一方で、交際を継続したいBは、Aと同様に、Aに対する不平不満を言うことはできません。BがAに対する不平不満を言っては、「じゃあなおさら別れるべきだ」と交際終了の更なる口実をAに与えることになってしまうからです。さらに言えば、Bは、いわば惚れた弱みとして、Aに不平不満など言えないかもしれません。
このように、別れ話において、AにはBに対する不平不満を述べるという攻撃手段がある一方で、Bはそのような攻撃手段を採用できません。そのため、BはAの攻撃に対して防戦一方で、それとは対照的にBはAが攻撃してこないので防御をする必要はありません。
ここに、一方的・片面的な攻撃防御構造という第三の構造的不均衡が存在すのです。
第四の構造的不均衡:一方的・片面的な精神的ダメージ
第四の構造的不均衡は、第三の構造的不均衡と密接な関係にあります。
上記で見たように、BはAからの不平不満を一方的・片面的に甘受しなければならないのですが、これは、Bの側だけが、不平不満による一方的・片面的な精神的ダメージを受けることを意味します。
また、別の形での精神的ダメージもあります。Aが十分な時間をかけて別れ話の準備をしていたことは、一般的に少なくとも別れ話の数週間前からは、Aの気持ちはBから離れつつあったことを意味します。
つまり、別れ話の前のしばらくの間、Bの言動はAに内心冷めた気持ちで見られていた可能性があるのです。さらに言えば、以前は情熱的であるとして好意的に受け入れられていたBの言動も、その間は、Aに気持ち悪いと思われている可能性が十分にあるのです。
これでは、Bはまさにピエロです。別れ話のときに突然、自分の間抜けさを悟らされるのですから。
以上のように、別れ話に際して、Bは一方的・片面的な精神的ダメージを被るのです。
おわりに:構造的不均衡をどうすべきか?
以上をまとめると、カップルの別れ話に際しては、
- 別れ話のための心の準備の相違。
- 交際終了に反論するための十分な時間がない。
- 一方的・片面的な攻撃防御構造。
- 一方的・片面的な精神的ダメージ。
という構造的不均衡が存在する傾向があることが分かります。このような構造的不均衡の下では、Aの交際終了の意思は貫徹されやすい一方で、Bの交際継続を希望する意思は困難な状況にあると言わざるを得ず、さらに、Bの側は傷つきやすい構造に置かれがちです。
世のカップルは、このような構造があることを前提に別れ話に臨むのが良いのかもしれません。具体的には、Aの側は、十分な時間をかけて別れ話の理由と意思を固めて、事前予告なしに別れ話を切り出し、一方的宣言(もしくはそれに近い同意獲得)によって交際を終了する形が戦略的でしょう*9。
その一方で、Bの側は難しい状況に置かれます。Aが別れ話を切り出す気配を事前に察知し、交際終了の理由を具体的に推察できれば、構造的不均衡は相当程度解消しますが、これは概して無理な相談でしょう。Bは、Aに別れ話を切り出されたら、まずは合意方式に持ち込んで構造的不均衡の解消を試み、冷静に反論を考える時間を確保するのが最優先です*10。そして、Aの交際終了の意思の強固さを認めた場合、Bは、いたずらに反論してAの述べる交際終了の理由(つまるところBに対する不平不満)を深く聞き出すことをせず、交際終了を受け入れた方が精神的ダメージは浅くて済みます*11。
それでは、(渋々ながらも)交際終了を受け入れたBは、Aへの気持ちの整理がついた後に、別れ話の際の構造的不均衡への意趣返しとばかりに、Aに対する不平不満を伝えるべきなのでしょうか?
結論から言えば、伝えるべきではないでしょう。事後的にAに不平不満を伝えたところで、気持ち悪いと一蹴されたり、それをAが友人知人に広めたりするのがオチでしょう。これでは、かえってAの側がさらなる精神的ダメージを受けてしまいます。
Aに対する不平不満は、抱いたとしても、B自身の内に留めておくか、せいぜい(Aに伝わらない範囲で)友人知人に愚痴る程度に収めておくのが穏当でしょう。
そもそも、以上述べてきた構造的不均衡は、あくまで事実分析に関する「不均衡(unbalance)」であって、「正義(justice)に反する」という価値的意味での「不公平・不公正(unfair, injustice)」ではありません。
現在、私たちが生きる社会は、自由に人間関係を形成する権利――ここでは特に恋愛の自由――を承認しており、交際関係にあるカップルの誰しもが交際を終了する権利を有しています。この権利を単に戦略的に行使しただけでは不公平・不公正と評価することはできません。ただ、事実レベルの分析・評価として、別れ話の構造に不均衡が存在するだけなのです*12。
したがって、上述の構造的不均衡論に基づいてBがAを論難するのは筋違いでしょう。構造的不均衡論は、Bの側にとって、実践的効用はほとんどなく、せいぜい自身がそもそも不利な構造に置かれていたことの認識に役立つ効用くらいしかないのです。とはいえ、構造的不均衡の存在を知ることは、もしかしたらBにとって一定の慰めにはなるかもしれませんね。
参考記事
最後に、最近読んで印象深かった恋愛に関するブログ記事をいくつか紹介したいと思います。
1つ目は、「道徳と恋愛は相性が悪い」と題する記事ですが、ここでは、道徳的(フェミニズム的)に行動する男性は女性との恋愛の上で不利に置かれる旨が論じられています。上記記事とは異なり、私のこの記事は性別互換的な議論を行ったつもりですが、基本的には両記事が基づく価値観は通底していると思われます。私の記事の一方的宣言方式云々に共感した方は、上記記事も読んでみると良いかもしれません。
2つ目は、1つ目の記事の続編に位置づけられる記事です。すべて興味深い内容ですが、異性のパートナー関係と同性の友人関係との違いについて論じられた部分が、私の記事と少なからず関係します。その部分では、私の記事の主題である別れ話の前段階にある、パートナー関係の構造――ひいては交際終了の構造的遠因――について論じられています。
私の記事は、交際中の(将来的な)B側にとって実践的効用がほとんどないと予想されるのに対して、上記記事は、現に交際関係にある人々に対して自身の現状を分析し改善する視角を提供してくれるものになると思います。
3つ目の記事は、私のこの記事とはほとんど関係ありませんが、過去に書いた記事(光源氏計画エンディングの倫理的許容性を考える――「養父と養娘の結婚」問題 - 小説・ラノベ・アニメ・漫画の感想・おすすめブログ)と内容的に関連するので紹介しておきます。
上記の「幼なじみが絶対に勝てる気がしない進化心理学」は、進化心理学の観点から幼馴染との恋愛は成就しない(他のライバルに勝てない)旨が論じられています。その議論に際しては、広く近親婚・近親相姦についても扱われていますが、そこではそのタブーの実質的理由(生物学的理由)がテーマとなっています。これは、私の過去記事が形式的理由(法制度的理由)をテーマとしたのとは対照的です。
また、関連して、漫画「僕たちは繁殖をやめた」もここで紹介しておきます(第1話試し読み)。この漫画は、生き別れの兄と妹の近親相姦がテーマとなっています*13。第17話ではタイトルが回収されるのですが、そこでは、「私ね……人って繁殖をやめたと思うんです。今って自由恋愛の時代で、どんな人と恋愛しようが基本的には自由で、結婚も出産も義務じゃないですよね。つまり人は繁殖より愛を選んだと思うんです。人は愛しているから一緒にいる。それ以上でもそれ以下でもないんです」。「もし“繁殖”しなかったら、僕らは同性のカップルや子供を産まない選択をしたカップルと同じように、恋愛関係でいて許されるのか?」と問題提起されています。
この問題提起は、近親相姦のタブー性を、性行為それ自体のタブー性と繁殖(妊娠・出産)のタブー性に区別する(そして近親間の性行為をタブー視しない)可能性を提示しています。実際には(避妊措置をしていたとしても)多くの場合の性行為に不可避的に伴う妊娠リスクがあるため、これ現実的な議論ではないかもしれません。しかし、純理論的には、このような区別可能性は十分検討に値する問題だと思われます(というより、誰かが既に検討していると思いますが)。
*1:冒頭の画像は記事本文とあまり関係ありません。関連させると混乱する可能性があります。ちなみに、『波よ聞いてくれ』(2021年5月現在既刊8巻)は非常に面白い漫画/アニメなので是非!
*2:もちろん、この問題については既に幾度となく誰かが検討しているのではないかと思います。また、この記事では筆者の個人的な感覚・主観が反映されていると思うので悪しからず。
*3:なお、ここでは、その理由の客観的な妥当性・正当性の有無はそれほど問題になりません。(概して冷静さを失った)Bさえ納得させれば良いのですから。
*4:もちろん、結果として別れ話が二人のより良い関係へと繋がる可能性もありますが。
*5:ただし、冷静さを失ったBが激昂して何らかの実力行使に出るような事態は避けなければなりませんが。
*6:他方で、婚姻関係については、法的な身分関係であることから、その開始・終了には慎重さが必要となるため、自由主義・個人主義が一定程度譲歩すると説明できます。最終的には、離婚裁判という手段も残されています。
*7:別れ話においては、交際終了したくないBは、Aが交際終了すべきという結論に至った原因を解消するための方策を提示すべく、Aの主張する交際終了の理由を深掘りするのが一般的かと思います。
*8:もしかしたら、この不平不満は、交際終了のために大袈裟に言っているだけで、本心ではない可能性もありますが。
*9:ただし、Aが交際終了後にBとの良好な関係を望むのなら、これが最善の形とは言えないでしょう。
*10:そのほか、可能であれば、やり取りのタイムラグが可能な文章(SNS等)による別れ話に移行する方法も検討しても良いかもしれません。もっとも、実際は困難だと思いますが。
*11:もっとも、これも実際には不可能かもしれません。実際は、交際終了の理由を深掘りして精神的ダメージを受けたにもかかわらず、結局は交際終了に至ったケースが多いのではないでしょうか。もしBがあっさりと交際終了を受け入れられるくらいなら、交際継続に対するBの気持ちも低下しているため、Bの側もAに対する不平不満を言い出せる可能性があります。この場合、構造的不均衡は相当程度解消され得ます。
*12:「不均衡」よりも「非対称」の方が分かりやすい言葉だったかもしれませんね。
*13:個人的には、映画サークルメンバーの守銭奴の女子学生・銭丸がサークル代表の男子学生(通称・巨匠)の才能に金銭を惜しまず投資するという特殊な恋愛模様も楽しんで読んでいます笑
ギャグ漫画『まったく最近の探偵ときたら』が諏訪部順一&花澤香菜でボイスコミックに!
なんと、私のお気に入りのギャグ漫画『まったく最近の探偵ときたら』(2021年5月現在既刊9巻)が、ボイスコミック化されていますので、未読の皆さんもぜひ試聴してみてください!!
この漫画は、アニメ化もされた『川柳少女』と同じ作者で、チラホラと川柳少女ネタが登場します! 『川柳少女』からは考えられないほど、ブッ飛んだギャグのオンパレードで終始笑いっぱなしの漫画です!!
世間を騒がす難事件を即解決! 言わずと知れた名探偵! ……だったのは10年以上も昔の話……。 いまや、ただの渋いおっさんになってしまった元・名探偵 名雲桂一郎。 慧眼は鳴りを潜め老眼に。時代に取り残され、スマホすら扱えない彼のもとに、 ある日人間離れした運動神経を持つ女子高生・真白が助手希望で押しかけてきた! ノリと勢いで事件を解決!? ”死なない探偵もの”で名を馳せる、 おっさんとJKが織りなすディテクティブギャグ!
ボイスコミックは、探偵・名雲役に諏訪部順一さん、助手・真白役に花澤香菜さんという豪華なキャスティングとなっています!
原作1巻の1話と3話がボイスコミック化されているのですが、下記サイトからは1話~4話を試し読みできます。
下記サイトからは1話~3話と何話か(更新あり)が読めます!
気に入った方はぜひ購入を! アニメ化されてほしいです!!
2021冬アニメの感想――16作品ひとことコメント
4月になって半月もたってしまいましたが、この記事では、私の視聴した2021冬アニメ16作品について一言ずつ適当な感想コメントを書きたいと思います!(五十音順)
なお、購入したOP曲・ED曲についてはYouTubeのリンクを付しておきます!
- 俺だけ入れる隠しダンジョン
- 回復術士のやり直し
- 五等分の花嫁∬
- 弱キャラ友崎くん
- 呪術廻戦(2クール目)
- SHOW BY ROCK!! STARS!!
- 進撃の巨人 The Final Season Part 1
- たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語
- 天空侵犯
- Dr. STONE(第2期)
- はたらく細胞!!
- はたらく細胞BLACK
- ヒーリングっど♡プリキュア
- ひぐらしのなく頃に業(2クール目)
- 無職転生~異世界行ったら本気だす~(1クール目)
- ワンダーエッグ・プライオリティ
俺だけ入れる隠しダンジョン
①ニコニコでヒロインズがモバイルバッテリーと呼ばれていましたね笑
②ノルの父親が無能&クズで笑ってしまいました笑
③「俺だけ入れる製作委員会」が秀逸でした笑
回復術士のやり直し
これを言ったらしょうがないのですが、「ヒール」が何でもありですね笑
AT-X版は完全回復ver.ということでしっかりと描写されていたのですが、地上波や配信は毎話のように意味の分からない冗長な(だけどBGMだけは壮大な)シーンが続いていましたね笑 第11話の「食欲と性欲の狭間」は趣味が悪いし、第12話の丼はゲス過ぎでした!
五等分の花嫁∬
2年前の第1期放送終了後に、原作コミックの続きを読んだのですが、アニメでは結構エピソードが省略されていますよね?
原作は最後まで読んでいないのですが、ネット上でネタバレを食らってちょっと落ち込んでいます。お気に入りのあのキャラが風太郎とくっつかないなんて……泣
続編の製作が決定したようで、楽しみにしています!!
弱キャラ友崎くん
人生をゲームに例えるのはあまり賛成できませんが(というか、私自身がアタファミのような格ゲーをしたことがないのでピンと来てないのですが)、日南葵のいう人生攻略方法は頷けるところが多々ありました。このアニメを高校時代に見ていたら実践していたかもしれませんね笑
でも、「学園のパーフェクトヒロイン」の日南葵きちんと渡り合える友崎文也が「ぼっちの弱キャラ」というのは承服できかねます。実際の経験上(自身でも周辺の人でも)、あのように対等に渡り合える人を弱キャラと呼ぶのはどうかと思いますし、ヒロインがそういう人を気にかける時点でもう弱キャラではないですよね。まあフィクションにノンフィクション性を求めても仕方がないですが笑
呪術廻戦(2クール目)
初登場時の印象はあまり良くありませんでしたが、東堂葵の好感度がどんどん上がってきました!
個人的ベストエピソードは、第17話「京都姉妹校交流会―団体戦③―」です。女性同士の戦いが熱かったですね! 釘崎野薔薇の「私は綺麗にオシャレしてる私が大好きだ!! 強くあろうとする私が大好きだ!! 私は『釘崎野薔薇』なんだよ!!」という自己肯定感MAXのセリフや、真希さんの言葉・戦い方・生き方がカッコよかったですよね!!
SHOW BY ROCK!! STARS!!
「かわいいの暴力」と言われる理由が分かります。が、良曲も多いんですよね。今期は以下の4曲を購入しました!
進撃の巨人 The Final Season Part 1
原作コミックを追いかけているので、その後に見るアニメはやはり新鮮味や驚きには欠けるのは残念ですが、それでもなお漫画史・アニメ史に残る名作であることには変わりません。でも、一回記憶を失くして、リベリオ襲撃前のライナーとエレンの緊張感のあるやり取りを初見で味わいたいですね!
たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語
ロイドの鈍感っぷりをツッコむのはもはや無粋でしょう。注目すべきはセレン嬢です。彼女のような全力&ギャグ路線のヒロインは今どき珍しいですね!
全体的にコメディ路線なので、時々入るシリアスシーンが浮き出ていましたね。
天空侵犯
①絵柄が10年前のようではありませんでしたか?
②数年前に原作コミックスを読んだ記憶はほとんど残ってないのですが、こんなにギャグテイストが織り込まれていましたっけ?
③太もも。
Dr. STONE(第2期)
ご都合主義的な箇所があるのは否めませんが、千空の「あくまでも科学」という姿勢は非常に好感が持てます。ダイナマイトの発明者ノーベルを引用した第9話は好きでした!
小中学生のころにこの作品を見ていたら、夏休みの自由研究のテーマに困ることはなかったですよね!
続編の製作が決まったようで楽しみです!!
はたらく細胞!!
第8話が最終話っぽい終わり方だなあと見ていたら、本当に最終話でした。原作ストックがなくなったらしいですね。
時勢的には、新型コロナウイルスをテーマとしたエピソードも見てみたかったですね!
はたらく細胞BLACK
無印シリーズよりも、非常に身近で啓蒙的な内容でした。自分の身を大事にしようと思わされました。
最終話の大オチ「僕らのブラックな労働は終わらない!」は良い終わり方でしたね!
ヒーリングっど♡プリキュア
深夜アニメではないのですが、(コロナ禍の影響による放送中断を挟みつつも)1年間の放送が終わったので、ここでコメントを書きます。
最終話近くのエピソードで、プリキュアが自己犠牲を拒む描写がありましたが、これがネット上で論争を巻き起こしていましたね。深夜アニメなら大人向けの(しかも、ありふれた)内容としてスルーされる描写ですが、教育的な要素を多分に含む未就学児や児童向けアニメだったので論争が起こったのでしょう。低年齢向けのヒーローアニメは、伝統的にはアンパンマンに代表されるように、自己犠牲を道徳的なものとして描きがちですが、今の時代にそれを予定調和として描くことはそぐわないような気がします。少なくとも、プリキュアが別の方向性を打ち出したのは歓迎すべきことかと思います。「ゲゲゲの鬼太郎(第6期)」や特撮など、他の日朝枠も、近年は問題提起的ですよね。
ひぐらしのなく頃に業(2クール目)
ひぐらしシリーズをずっと見続けていると、逆に誰かが死なないと不安になるというか、誰かの死を待ってしまうというか、そういう奇妙な期待感で毎話の放送を見ていました。猫騙し編の梨花の怒涛の連続死で私の頭はおかしくなってしまったようです……
第23話放送時にSSR鉄平がTwitterトレンド入りしたのは笑ってしまいましたね笑
7月から始まる「ひぐらしのなく頃に卒」が待ちきれません!
無職転生~異世界行ったら本気だす~(1クール目)
いずれのキャラクターも魅力的でした。主人公ルーデウスは、才能こそありますが、実際には大事な場面で意外と活躍できていなかったりポカをやらかしたりしています。単純な俺tueeeみたいなキャラ造形じゃないのが良いですよね。
7月から始まる2クール目が楽しみです!
ワンダーエッグ・プライオリティ
ドラマ「高校教師」「薔薇のない花屋」などで有名な野島伸司氏が脚本を務め、それを若林信氏が圧倒的な美麗さで映像化していました。今期一番の圧倒的なアニメーションでした!
自殺をテーマにしたオリジナル作品で、作品の終わりがどこに向かってゆくのか分からないハラハラ感が毎話ありました。今期で完結しなかったのは残念ですが、6月の特別編が楽しみですね!
春アニメも楽しみです!
ドキュメンタリー映画「14歳の栞」の感想――鮮烈な思春期の表層と内面
パンサーの向井さんがラジオで話しているのを聴いて興味を持ち、「14歳の栞」という映画を観てきました。とある中学校の3学期に、2年6組35人全員に密着したドキュメンタリー映画です(公式HP:14歳の栞)。
以下、箇条的に感想を書き連ねますが、これを読んでから映画を観ても十分に楽しめるのではないかと思います。
- 1)みんな肌が若い!
- 2)声がまだまだ幼い!
- 3)公立中学校の雰囲気が懐かしい!
- 4)男子中学生のノリ!
- 5)男子中学生は下ネタがお好き。
- 6)女子中学生のノリも!
- 7)誰しも複数のペルソナを使い分けている
- 8)吹奏楽部のとある女子生徒
- 9)家では子ども?大人?
- 10)早く大人になりたい!
- 11)将来に対する現実的な視点
- 12)学力と将来設計
- 13)恋愛模様が甘酸っぱい!!
- 14)辛辣な言葉
- 15)問題は解決しない
- 16)表層と内面
1)みんな肌が若い!
まず、私の身近には中学生がいないので、ノーメイクで画面いっぱいに映し出されてもプリップリで綺麗な肌には驚いてしまいました! これが若さというものか……
2)声がまだまだ幼い!
一部の男子は既に声変わりしていましたが、多くの生徒はまだまだ子供の声をしていました。男性にせよ女性にせよ、歳を重ねるごとに声が低くなってゆきますが、中学生は概してまだ幼い範疇にありますね。それと、リアル中学生(の特に女子)の声は、アニメ声に近いものがありますね!
3)公立中学校の雰囲気が懐かしい!
舞台となった中学校とは世代も地域も違いますが、私の通っていた公立中学校も似たような雰囲気でした。私立中学校や男女別学校に通っていた方などは、この映画を観れば男女共学の公立中学校の雰囲気を感じられるのではないかと思います!
4)男子中学生のノリ!
男子中学生はとにかくじゃれ合う! とくに腕を首にかけるのは懐かしさを感じましたね。私が中学生のとき、BLとか腐女子とかいう概念を知っていたら、そういう色眼鏡で周辺を観察してしまっていたでしょう……
5)男子中学生は下ネタがお好き。
男子中学生は、エロへの興味が爆発する時期ですので、下ネタを言いたがりますよね。でも、まだ経験はないので、「みんなと一緒にワイワイ言う」「えげつないのは言えない」のが必須条件になっている気がします。
6)女子中学生のノリも!
中学生といえば思春期の真っ只中で、男女の差を敏感に意識する時期です。上記ような男子のノリに対して、女子は「男子ってこれだから」みたいな態度とる訳です。
でも、女子だって姦しいノリがあります。ただ、それは教室のような男女混合の場であらわれにくいだけで、女子だけの場ではノリが爆発しています。吹奏楽部、文芸部、美術部などの女子が全員や大多数を占めるような部活では、特にそうです。
7)誰しも複数のペルソナを使い分けている
人間は成長するにつれ、その場その場に適応した態度を取るようになりますよね。親友、クラス、部活、家庭など、それぞれで異なるペルソナ(仮面=人格)を被って、でも、そのうち本当の自分が分からなくなって……。そんなことで悩むのも思春期だからですよね。大人になると、そんなこと当たり前になって、どうでもよくなってゆきます……
8)吹奏楽部のとある女子生徒
クラスではそんな感じではなかった女子生徒が、意外にも吹奏楽部でしっかりとパートリーダーを務めているのは、あるあるではないでしょうか。
9)家では子ども?大人?
学校と比べて、家では子どもっぽくなったり、逆に大人っぽくなったり、だいたいの中学生は学校と家でのペルソナを使い分ける二面性を持っています。だからこそ、これを暴かれたくなくて、同級生には自分の親を会わせたくないんですよね。
10)早く大人になりたい!
インタビュー中に複数の生徒が口をそろえて語っていた言葉は「早く大人になりたい」。
大人になった私たちからすれば、成長したからといって抱えている問題が必ずしも解決できる訳でもないし、むしろ新たな問題を背負い込むことになることは、もちろん承知済みです。
反対に、一人だけ「責任を負いたくない。赤ちゃんになりたい」と語っていた生徒がいましたが、その意味では彼が一番の大人ですよね。
11)将来に対する現実的な視点
クラスのお調子者、あるいは部活の主軸や校外のスポーツクラブに通う生徒は、表層だけを見れば、自身の将来について、何にも考えていなかったり、あるいは現実的には難しい夢を抱き続けているようなステレオタイプな印象を受けがちですよね。でも、意外とみんな、将来に対して現実的な視点を持っているようです。このままではいられないことを、ちゃんと理解しているようなのです。
中学生たちは、中学生なりに進路を真剣に悩んで、将来設計を行っています。彼/彼女らにアドバイスを行うとすれば、今の時代において公務員や正社員になれるのは必ずしも「普通」ではないし、結婚や出産の時期は想定より遅くなりがち、の2点を強調しておきたいですね。
12)学力と将来設計
これは映画で描かれていなかったことなのですが、映画を観て、学力と将来設計の関係について思い至ったことがあります。
もちろん「学力=将来設計について考える能力」ではないですが、学力は将来設計について考える能力の重要な要素のはずです(たぶん)。しかし、実際には、学力のない者は中卒・高卒で働き始め、学力のある者は大学や大学院に進学します。ということは、学力のない者の方が先に将来設計を行う必要に迫られ、反対に、学力のある者は進学した分だけそれを先送りすることができる訳です。このことはきちんと自覚しておきたいです。
13)恋愛模様が甘酸っぱい!!
度々、恋愛模様が登場します。みんな(交際経験ないだろうにもかかわらず)「恋愛を知っている風」を装いますが、その一方で、誰もかれも手探りな状況なのが見て取れます。思春期に高まる恋愛への興味と、それをコントロールしているように装いたい自意識がぶつかり合っている様子が見えます。
集団になると、男子は男子で、女子は女子で、それぞれに集まって、恋愛事でワーキャー騒ぐのですが、いざ当事者で一対一になると、大人の恋愛よろしく一気に真剣さが増していました。
14)辛辣な言葉
とある男子生徒が、その趣味に没頭する姿について、同級生から辛辣な言葉を投げかけられていました。
最初に「キモッ!」と言ったのは、1人の女子生徒でした。そのシーンで、劇場内ではクスッとした笑い声が漏れ出ていました。次いで、男子生徒4、5人のうちの1人が「気持ち悪いんだよ!」と彼に言っていました。このシーンでは劇場内の誰一人も笑っていませんでした。
この差は何なのでしょうか? 両者の言葉の意味は異なりません。人数比の差? ジェンダー差? あるいは、本人しか知ることができませんが、その言葉に込められた感情の種類の違いでしょうか?
いずれにせよ、問題の中心は、彼がそれぞれの言葉をどのように受け取ったのかです。本人しか知り得ないことに対する無責任な想像はひとまず措いておき、ここでは、熱く夢を語ってくれた彼の将来に幸あらんことを祈ります。
15)問題は解決しない
修了式の日の記念撮影の際、とある問題は解決しませんでしたね。フィクションならぬドキュメンタリーゆえのリアリティ溢れるシーンでした。
16)表層と内面
「友人はいらない」と語る女子生徒を見て思いました。
思春期は、自分という存在を過剰なくらいに意識する時期ですよね。一方においては、他者から見て自分がどう見られているのか気になって仕方なく、他方においては、自分が何者なのかを自分自身に問いかけます。それまで所与とされてきた自分の存在が危うくなり、アイデンティティを大きく揺さぶられ、自分を嫌いになることなんて多々あります。
それに伴って、小学生のときのような――いわば能天気な――人間関係は築けなくなります。友人関係・恋人関係などの人間関係は、自己の存在を肯定してくれる可能性がある一方で、それを否定するリスクも内包しています。思春期における自己の存在に対する否定は、人生の終了にも感じられる出来事です。そのため、思春期の防衛本能は、自己の表層と内面を慎重に分離させて、裏切られるリスクを表層だけに限定し、内面を他者に晒さないように警戒します。でも、その内面は、裏切ることのない他者からの絶対的な肯定を切実に求めてしまいます。
この映画におけるインタビューは、このような思春期の内面に迫るものでした。もちろん、撮影スタッフに表層的にしか対応していないと見受けられる生徒もいましたが、(限定的にであっても)内面を打ち明けてくれる生徒も多くいたように感じました。大人になってみれば過去の一幕に過ぎないけれども、その頃は人生そのものでしかなかった思春期の激烈な表層と内面を、この映画で鮮やかに思い出すことができました。
以上が「14歳の栞」を観た感想です。年齢的な意味で上から目線、つまり、「年長者は物事を理解している」風の感想になってしまいましたが、この感想は、普遍性を装っている一方で、私の特殊個人的な経験に裏打ちされたものでしかないことも一言付け加えておきます。それでもなお、誰かに誰かを重ねて、誰かに自分を重ねることができる、おそらく多くの人がそのような感覚を得られるだろうドキュメンタリー映画でした。
多くの都道府県で見られるので、興味のある方は是非ご覧になってください!
2021冬ドラマの感想――10作品ひとことコメント
3月も終わり、2021冬ドラマを視聴し終わったので、私の視聴した10作品について適当な感想コメントを書きたいと思います!(時間・五十音順)
1時間ドラマ
青のSP―学校内警察・嶋田隆平―(フジテレビ系列、火曜9時)
私が職業的にどうこう関係している訳ではないのですが、(児童生徒、教師、保護者も含めた)教育のあり方や学校内秩序には、個人的な関心がありますので、このドラマはまさに私向きでした!
しかし、今に始まったことではありませんが、警察ドラマでは手続的正義が軽視される(つまり刑事手続上の違法行為が合法かのように描写される)のは相変わらずですね。こういう描写は結局のところ警察や刑事司法に対する信頼を貶めるような気がします。
個人的なベスト俳優賞は、一人どころか数人にも絞れませんでしたが、中学生役を演じた皆さんを選びたいと思います。自分も経験した中学校における思春期の敏感な空気感が画面越しに伝わってきました。皆さんのこれからの活躍を期待しています!
俺の家の話(TBS系列、金曜22時)
各所から好評価されていますが、(離婚とか親子関係とか他のドラマで描かれがちな問題に限らず)深刻な家族の問題をいくつも真正面から取り上げるこのドラマは非常に挑戦的で非常に良い企画でした。
一方においては、認知症・介護・終活や発達障害などの普遍的な家族の問題を扱うにもかかわらず、他方においては、舞台を旧態依然とした伝統芸能の宗家としたことで、寿限無の実子騒動も含む寿三郎の奔放な女性関係や、「この家で、女に生まれて、女でいるのが、どんっだけしんどいか。生まれたときから数に入ってないわけよ」と長女・舞(演:江口のりこ)によって吐露されたジェンダー問題にまで切り込んでいったのですから、宮藤官九郎さんによる脚本の妙に感心せざるをえません。シリアスな問題を取り扱うにもかかわらず、コメディタッチにすることで、多くの視聴者が観やすい物語になっていたと思います。
個人的なベスト俳優賞は、主演の長瀬智也さんと、秀生役の羽村仁成さんです。
このドラマで初めて長瀬智也さんが演じているのを見たのですが(正確に言えば、「マイボス・マイヒーロー」以来ですが、ほとんど覚えていないので……)、TOKIO脱退・ジャニーズ事務所退所にともない、これが最後の出演になるらしく、残念です。最終話の大どんでん返しはこれのメタファーということですよね……
羽村仁成さんは2007年生まれの13歳ですが、なんとジャニーズJr.らしいのです。こんな小さい頃からジャニーズ事務所に入るんですね! 羽村さんは元子役らしいのですが、発達障害という難しい役どころにもかかわらず、演技が上手でしたね!
知ってるワイフ(フジテレビ系列・木曜22時)
第1話で元の時空における妻の広瀬アリスが夫の大倉さんにブチギレるシーンが非常にリアルで怖かったです。ああいう風な詰められ方をしたら、男はもう全面降伏するしかないのではと思います。
あと、仕方のないことなのですが、20代後半と高校生を同一人が演じたのには違和感を禁じ得ませんでしたね。
青天を衝け(NHK総合、「大河ドラマ」日曜20時)
近代日本のころがテーマで、この時代には関心があるので、初めて大河ドラマを見ている最中です。しかし、NHKの看板番組だけあって、予算がすごいですね!
天国と地獄~サイコな2人~(TBS系列、「日曜劇場」日曜9時)
主演の二人の演技の上手さが非常に目立つドラマでした。中身が入れ替わったことを視聴者に一見して分からせる声・仕草は俳優としての技術力がかなり試されたのではないかと思います。
24 JAPAN(テレ朝系列、金曜23:15、2クール目)
放送が開始した半年前は、翻訳したような話し方には辟易としていましたが、さすがに十数話も見る頃には慣れてきました笑
この点も含めてツッコミどころはいくつかあったのですが、全体として楽しめました!
最終話の衝撃のラストに批判があるようですが、あのような理不尽な幕引きは、原作シーズンすべてを履修済みの者からすれば十分予測できましたね笑
ウチの娘は、彼氏が出来ない!!(日テレ系列、水曜22時)
母と娘の友達のような関係、特に「キミ」「かーちゃん」と呼び合う仲は、かなり好きでした。
ストーリーやキャラクターは、あまり共感できませんでした。というのも、恋愛モノの多くに当てはまることなので、仕方のないことなのかもしれませんが、母にしても娘にしても、同時に2人の男性から好意を寄せられるなんて、恋愛強者だからではありませんか!?
母は恋愛下手、娘はオタクという触れ込みで始まったドラマですが、真の(?)恋愛下手やオタクが悩んでいるであろう段階――異性との出会いがない、異性とまともなコミュニケーションができない、といったそもそもの段階――は無視・軽視されていました。菅野美穂と浜辺美波を放っておく男性がいるのでしょうか!?……もちろんドラマなので、こういったメタ部分を掘り下げても仕方がないのですが。
あと、映画「屍人荘の殺人」やドラマ「タリオ 復讐代行の2人」でも思ったのですが、浜辺美波さんはコメディチックなキャラクターが似合いますね!
30分ドラマ
書けない!?~脚本家・吉丸圭佑の筋書きのない生活~(テレ朝系列、土曜23:30)
脚本家という職業には少し興味があるので、終始楽しめるストーリーでした。
最近はテレビ各局が深夜ドラマに力を入れているらしく、ゴールデンの主役級が深夜帯でも演じてくれています。このドラマも例外ではなく、生田斗真さん、岡田将生さん、小池徹平さんなど、豪華俳優陣が出演していました。
個人的な俳優賞は、岡田将生さんです。ちょっと面倒くさい人気イケメン俳優という役どころはピッタリでしたね!
ここは今から倫理です。(NHK総合、土曜23:30)
「考え続けてください」という最終話の高柳の言葉通り、各エピソードで単純明快な結末が描かれるわけではなく、どこか納まりが悪かったですが、まさにこれこそが原作者・制作側の描きたかったことだったのだと思います。各生徒の抱えるリアルな悩みを、倫理の教師が思い悩みながら、救おうとし、また悩み続ける……快刀乱麻を断つ訳ではないストーリーが非常に共感できました。
個人的なベスト俳優賞は、生徒皆に差し上げたいのですが、特に印象に残っているのは、逢沢いち子役の茅島みずきさん、都幾川幸人役の板垣李光人さんです。
茅島さんは終始軽めのキャラを上手く演じていましたが、最終話の涙が特に良かったですよね。板垣さんは、愛着障害という難しい役どころを上手く演じていたと思います。4月1日深夜から始まるドラマ「カラフラブル」(日テレ系)では主演でジェンダーレス男子を演じるそうです。
ミヤコが京都にやって来た!(ABC・テレ朝系列、日曜24:55)
京都在住経験のある私としては、知っているスポットが何度も登場したので嬉しかったです!
ちなみに、ミヤコと父が住んでいるコテコテの京都(いわば観光客向けの京都)は、京都市の極一部に過ぎません。実際は他の100万都市と似たり寄ったりです(建物が低めなのと細い道が多いのですが)。撮影スポットは、外から見た京都に対するノスタルジーが凝縮されている感じでしたね。
2021春ドラマも楽しみです!
しかし、地上波ドラマでもBSドラマでも全国の放送局の多くのドラマがTVer(https://tver.jp/drama)で見れるなんて、いい時代ですね!!