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アニメ「スーパーカブ」原付2人乗り騒動についての覚書――議論の整理と表現の自由の確保のための試論

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テレビアニメ「スーパーカブ」第6話

 

 テレビアニメ「スーパーカブ」第6話において、主人公が免許取得から1年未満にもかかわらず原付2人乗り運転という違法行為(罰則は10万円以下の罰金)を行ったシーンが描かれたことが、ネット上でプチ騒動となりました。

 公式の見解は、ネットニュースに譲るとして、ここでは(第6話放送から数週経過してしまいましたが)、議論を整理した上で、表現の自由の確保のための試論についてコメントを述べたいと思います。

 

 

議論の整理

 

 そもそも、実際にアニメを視聴した上で、怒りや憤りを感じて批判的コメントを表明した人はかなり少ないと思われます。法律違反であることを指摘した人であっても、それは単なる事実の指摘や知識の披露にとどまる程度の意図しかない場合が多数かと思われます。

 とまあ、以上は話の枕に過ぎないのですが、いずれにせよ、批判は以下の3つの懸念に大別されそうです(参照1 )。

批判① 誤解懸念

違法行為があたかも合法であるかのように描写されることによって、それを視聴した者が合法であると誤解することへの懸念。

批判② 反遵法懸念

違法行為の肯定的・推奨的な描写が、それを視聴した者の遵法精神や規範意識に対して否定的・消極的に作用することへの懸念。

批判③ 模倣懸念

誤解懸念や反遵法懸念からさらに進んで、現実世界で違法行為を模倣する人が現われることへの懸念。

 

 上記三種の懸念に対しては、たびたび他の事案において議論になるのと同様に「スーパーカブ」についても、以下のような反論が出されています。

 

反論①「フィクションだから問題ない」「フィクション上の描写を真に受ける人はいない」

 この見解は、上記三懸念に対して真っ向から反論します。しかし、フィクション上の描写を見て、実際に誤解し、実際に反遵法精神を抱き、実際に模倣する原付ライダーが存在するのか否かは、実証研究が(おそらく)ないため、そしてネット上での散発的な匿名の論争に終始しているため、議論は平行線のままです。

 そこで、「上記三懸念が妥当なものか否かの証明責任はどちらに配分されるべきか」と問題設定する方法が浮上します。これに答えを出してくれるのが、次の②です。

 

反論②「フィクション上の表現は(可能な限り)自由であるべきだ」

 この見解は、実在する特定人の人格や名誉を侵害するような表現やヘイトスピーチヘイトクライム的な描写、あるいは現実の具体的害悪を扇動するような表現に至らない限り、フィクション上の表現の自由を最大限に尊重するものです。この見解は、憲法で保障された表現の自由に基づいている点において説得的です。また、この見解は「表現の自由:原則―その制約:例外」という図式を前提としますので、①で問題になった証明責任は、上記三懸念を表明する批判者側に配分されることになります。

 しかし、この見解は、テレビの公共性を無視・軽視しています。選択肢が限られ、誰でも比較的簡易にアクセスでき、それゆえに影響力の大きいメディアとして、(新聞・雑誌・書籍などとは異なり)テレビ放送は法律(放送法)による規制を受けています。放送法の規制が今回の「スーパーカブ」の事案で直接問題になるとは考えにくいですが、やはりテレビの公共性を無視した議論はできません。上記三懸念の背後には、テレビの公共性が存在するのです。

 

反論③「批判の背後には、『少女は違法行為をしない/してはならない』という偏見がある」

 このような見解は私にとっては新鮮であり、非常に興味深く読みました(参照2参照1)。

 一定の説得力を感じるとともに、上記三懸念の背後にある批判者の心理に着目しているので、表明された懸念それ自体とは直接に議論が嚙み合っていません。それ以上の議論があまり期待できないのが残念です。

 

反論④「実際のところ、このような軽微な法律違反は日常茶飯事であり、取り締まられることも稀である」「軽微な違法行為は寛容すべきだ」

 この見解は、違法行為の実質――つまり、取り締まりの実態や当罰性の程度――に着目して、実質論・実際論として問題ないと結論付けます(参照3参照4)。

 しかし、私たちの代表者たる国会が禁止すべきものとして公式に定めた違法行為を、個人的な経験談(の集合)によって、違法行為ではないかのように扱うことに問題なしとはできません。経験談ベースで議論するとすれば、実際にこれを軽微な法律違反と捉えていない人もいますし(参照5)、反遵法懸念はまさにこの点を問題としているのです。

 そもそも、個人的な経験談(の集合)にとどまらない実態論・実質論、言い換えれば、国が正式に定めた法律をオーバーライドできるほどに――つまりは将来的な法律の改正や執行停止、あるいは違憲訴訟に繋げられるほどに――実証的・学術的・権威的な実態論・実質論が提示されているのでしょうか。

 

反論⑤「殺人などのフィクションで頻繁に描写される他の重大な法令違反に対して批判を行っていないため、批判者には一貫性がない」

 この見解は、批判の内容それ自体ではなく、批判者の議論に対する誠実性を問題としています。この見解は、一定の説得力はありますが、上記三懸念に対する直接の反論になっていません。

 もっとも、模倣懸念が誤解懸念や反遵法懸念を不可欠の前提としている場合には、違法行為であっても誤解的・推奨的に描かれていない限りは、言い換えれば、違法行為が違法行為として否定的に――つまり視聴者が模倣しないように――描写される限りでは、批判者はこれを批判する必要はありません。よって、⑤の反論はその点において成立しません。

 ただし、批判者が模倣懸念と誤解懸念・反遵法懸念とを厳密に区別しているのかは怪しいところですし、そのように厳密に区別している批判者はごく少数にとどまるものと思われます。

 

 以上、議論の状況を概覧しましたが、やはり上記三懸念に対しては①②の反論が説得的だと思われます。しかし、①②で十分という訳ではありません。上述の通り、テレビの公共性は無視・軽視されてはならないからです。

 そこで、続いては、表現の自由の尊重とテレビの公共性に基づく懸念の調和可能性を探りたいと思います。

 

 

表現の自由とテレビの公共性の調和可能性

 

 ここでは、批判者が批判できない最低限のラインを探ることによって、表現の自由の尊重とテレビの公共性に基づく懸念の調和可能性を見出したいと思います。

 誤解懸念・反遵法懸念・模倣懸念に基づいて批判者は主張を行いますが、逆に言えば、これらの懸念が存在しないような描写については批判が成立しません。具体的には、下記の場合には、懸念が存在しないと言えるでしょう。

 

1)周知されている違法行為の場合

 殺人・傷害・暴行・窃盗・強盗・強制性交・放火など、多くの人々にとって違法行為(犯罪)であると認識されている行為、言い換えれば、一見して多くの人々にとって反道徳的・反社会的でありそれ故に違法化されていることが明白な行為については、基本的に、上記三懸念は存在しないでしょう。フィクション以前の常識として、人々が問題の描写について誤解したり反遵法精神を抱いたり模倣したりする懸念は存在しないと考えてよいと思われます。実際に、警察や探偵の登場するドラマやアニメなどで頻繁にこの手の違法行為は描写されますが、批判する者は見かけません。

 しかし、違法行為の描写の存在それ自体と、違法行為の描写方法とは分離して考えるべきでしょう。前段落の議論が前提としているドラマやアニメは、警察・検察・裁判官、あるいは探偵といった典型的には遵法側に配置される者を中心に据えたり、一般市民は遵法精神をもって社会生活しているという純朴な想定に基づいているからです。多数派のドラマやアニメは、やはり人々の正義や遵法精神に適合するものでしょう。

 そのため、少数派かもしれませんが、違法行為を一定の方法で描写する表現をテレビで放送することには慎重になる必要があると思われます。具体的には、違法行為を過度に肯定的・積極的に描写したり、直接に推奨したり、洗脳したりするような表現です。

 この点、「スーパーカブ」において、(私は原作を読んでいないのですが)原作読者によれば(参照5)、主人公がネズミ捕りをする警察を目の敵にしたり、原付2人乗りを重要なことと捉えていない、といった主人公の独白が原作ではあったらしいのに対して、アニメではそれを直接表現する描写はありませんでした。おそらく、製作者側は(本田技研側の影響もあるかともいますが)、違法行為を肯定的・積極的に描写するべきではないと判断し、アニメ化に際して原作ではあった独白を削り、その肯定的・積極的な作用を最低限に抑えようとしたのだと思います。

 

2)現実の当事者が違法行為であると認識している蓋然性ある場合

 1)での議論は、それほど珍しくないと思います。しかし、「スーパーカブ」騒動の場合は、こちらの2)の方が重要になると思います。

 すなわち、世間一般に周知されていなくとも、現実の当事者が違法行為であると認識している蓋然性がある場合には、上記三懸念は存在しないと言えるのではないでしょうか。

 「スーパーカブ」に照らして具体的に言えば、原付バイクを運転するためには免許が必須ですが、その取得のためには関連する交通法規について知っておく必要があります。つまり、現実世界で実際に原付バイクを運転する当事者は、免許制度を通じて、「スーパーカブ」で描写された2人乗りが違法行為であることを認識しているのです。

 したがって、現実の当事者にはフィクション以前の常識があることの証明としての免許制度が存在している以上は、批判者の懸念対象(アニメを視聴したことにより、合法だと誤解する人、反遵法精神を抱く人、模倣する人)は、実際には(懸念するほどには)存在しないと言ってもよいのではないでしょうか。少なくとも、批判者は、自身の懸念の対象となる人々が免許を取得した者であることはきちんと考慮すべきでしょう。

 

 以上を踏まえると、少なくともこれら2つの場合については、批判者のいう懸念は存在しないと思われます。これらの場合については、批判者の懸念は的外れか検討不十分であり、製作者側が過度に萎縮して自主規制する必要はないと思います。

 実際の個別具体的な事例において、表現の自由とテレビの公共性を調整することは難しいかもしれませんが、製作者側には表現の自由を自らの手で縮減してしまわない責任と気概を持っていて欲しいものです。

 

 全体としてやや一般論に傾きましたが、私の結論としては、アニメ「スーパーカブ」の原付2人乗り描写は問題ないと考えています。今後の放送話も楽しみです。