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ポリアモリーなアニメ「カノジョも彼女」は反道徳的?――同意のある二股の反道徳性とデメリットについて

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テレビアニメ「カノジョも彼女」

 

先日、少年漫画を原作とするテレビアニメ「カノジョも彼女」の放送が終わりました。ポリアモリーについて考える機会を与えられた作品でした。

寡聞にして今回初めて知ったのですが、「ポリアモリー」とは、直也と咲と渚の関係性のように、当事者すべての同意を得て複数(三人以上)のパートナー間で恋愛関係を築くことを意味します。その下位類型には、一夫多妻制や一妻多夫制などがあります。なお、ポリアモリーの対義語は、一夫一妻制(モノガミー)です。

 

色々考えながらこのアニメを視聴していたのですが、原作漫画についての1年前の下記記事を読んだこときっかけに「カノジョも彼女」は「ポリアモリー」の問題であると類型化・言語化することができました(ちなみに、今さら気付いたのですが、2013年放送のドラマ「リーガル・ハイ」2期6話もポリアモリーがテーマとなっていました)。

 

このアニメを視聴しながら私は、直也と咲と渚のポリアモリー的な関係については、まったく反道徳的だとは思いませんでした。しかし、ニコニコ動画のコメントなどを見るに、多数派は三人の関係を「常識的ではない(したがって反道徳的である)」と捉えているようでした。

この三人の関係性の是非については、第11話にて直也と柴乃の間でやり取りがあったので、その会話に沿って、ポリアモリーの反道徳性とデメリットについて考えたいと思います。なお、私自身はポリアモリスト(ポリアモリーの実践者)ではないので想像を多分に含むところがありますがご容赦を。

 

 

反道徳的?

以下は11話にて行われた直也と柴乃の会話です。

柴乃「どうなの? 二股してるの?」

直也「そ、それは……」

柴乃「どうなの?」

直也「逆になぜそれがそんなに気になるの?」

柴乃「あのねえ、咲々は友達なの。友達が二股されていたら止めるでしょ!」

直也「たしかに!」

ここまでの会話では、二股の反道徳性が議論されていると見ることができますが、一見するとここで柴乃は直也を論破したような形になっています。

しかし、直也と咲と渚の関係は、一般的な意味の二股(つまり浮気や不倫)ではなく、当事者すべての同意がある二股(ポリアモリー)なのです。したがって、両者の区別を踏まえられていない(両者の区別が明らかでない)柴乃の主張は成立し難いといえます。

会話は以下のように続きます。

直也「とはいえ、個人の自由という考え方も!」

柴乃「そうね。でも咲々はダメ」

直也「なぜ!?」

柴乃「あの子は押しに弱いっていうか、ちょっとアホだから」

直也「アホ?」

柴乃「そう、アホ!」

直也「咲々って全力で頼み込めば流されて二股も許しちゃいそうなイメージ。ちゃんと考えてなさそうだからほっとけないの!」

注目すべきは、柴乃は、咲については「押しに弱い」からダメとしつつも、直也の「二股(ポリアモリー)は個人の自由」という考え方には同意していることです。

ここで柴乃が問題にしているのは、ポリアモリー一般の反道徳性ではなく、ポリアモリーの形成に際する咲の同意能力なのです。柴乃は、ポリアモリーそれ自体に対しては有効な反論をできてないのです。

 

 

デメリット①――不安と嫉妬

直也と柴乃の会話は続きます。

柴乃「そもそも、あなただって二股にどんなデメリットがあるか分かってる? 女の子は常にどっちが一番かの不安を抱えるのよ!」

直也「平等に愛せるかも!」

このやり取りについては、柴乃の言い分が的を射ていると思われます。どんなに平等を謳っていようとも、(全員が異性愛者だと仮定して)一夫多妻ないしは一妻多夫のポリアモリーについては、複数いる性別のパートナーたち(咲と渚)は一人しかいない性別のパートナー(直也)による順位付けが気になり、不安や嫉妬を抱きやすい構造になっていることは否定できないと思われます(当事者や研究者へのインタビュー記事①記事②も参照)。この作品でも、温泉旅行編(10話~12話)にて渚はこの問題について深く悩んでいました。

しかしながら、この問題はデメリットであるにせよ、反道徳的であると言えるのでしょうか? 当事者の同意があるにもかかわらず、構造的に不安や嫉妬を抱きやすくなることを以て反道徳的であると断ずることは難しいのではないかと思われます。

 

 

デメリット②――時間配分

直也と柴乃の会話はまだまだ続きます。

柴乃「二人っきりの時間も半分だし!」

直也「三人一緒の楽しさもあるかも!」

このような時間配分の問題については、ポリアモリーにせよモノガミーにせよ、(結婚していても一人きりの時間を好む人が存在するなど)各当事者の関係性や個人の性格といった個別事情に左右される部分が大きいと思われるので、この問題はスキップしても構わないでしょう。

 

 

デメリット③――扶養

柴乃はさらに直也に畳みかけます。

柴乃「この不況の世で二人も養える?」

これについては、柴乃の価値観は遅れていると言えそうです。男性である直也だけが外に働きに出かけ、女性である咲と渚は専業主婦になるという結婚観は、(依然として解消されない男女間の賃金格差を踏まえてもなお)時代遅れでしょう。扶養・被扶養の関係や生計の立て方については、ポリアモリーにせよモノガミーにせよ、もはや当事者次第ではないでしょうか

 

 

デメリット④――社会的理解

直也に対する柴乃の言葉は止まりません。

柴乃「相手の親に言える?」

この柴乃の言葉は、ポリアモリーの実践に際する核心的な問題を言及していると思われます。当事者の親に限らず一般化すれば、家族や友人など周囲の人々からの社会的理解を得ること(ポリアモリーをカミングアウトし、説明・説得し、受容されること)は、一夫一妻制(モノガミー)とは比較できないほどに困難を極めると思われます(もしかしたら同性愛以上の困難を抱えています)。

ポリアモリーという関係性は、その反道徳性はまったく明らかではないにもかかわらず、(少なくとも現代日本においては)社会的理解がないために隠される(そして発見されない)傾向にあるのではないでしょうか。

この作品においても、咲と渚(と直也)は、周囲に対して三人の関係性を、隠すべき理由が自明ではないにもかかわらず隠そうとしましたし、さらには興味深いことに、三人の関係性を知ることになったミリカや柴乃もそれを第三者に知られないように配慮していました。

 

 

デメリット⑤――社会制度との不合致

柴乃「そもそも民法732条で重婚は禁止。二股なんて不法行為に等しいの。籍も入れられなきゃ税制面も不利。保険の受取りができない可能性も。手術の同意書にもサインできなかったりする。様々な問題があるのよ!」

直也「べ、勉強になる……」

当事者すべての同意があるポリアモリー不法行為としての不貞行為(民法709条、770条1項1号)に該当するとは考えにくいですが(弁護士の解説)、要するに、ここでの柴乃の主張の要点は、ポリアモリーの関係性が現代日本の社会制度と合致していない点にあります。モノガミーとは異なり、ポリアモリー法律婚に移行できません。モノガミーであれば事実婚であっても税制、社会保障制度、各種保険などにおいて考慮されることがあっても、ポリアモリーについては通常想定されていません。

しかし、これらは(非常に重大な問題ではありますが)デメリットでしかなく、反道徳的であることを意味するものではありません

 

 

まとめ

以上、直也と柴乃の会話を振り返ってみると、ポリアモリーの反道徳性は明らかではなく、単に反道徳性なきデメリットが存在するだけであると言えます(もちろん重大なデメリットですが)。

したがって、単なる反道徳性なきデメリットでしかない以上は、メリット(好きな人と結ばれる幸福など)との比較衡量の上で、当事者がポリアモリーの関係を形成するか否かを決定すればよく、三者が徒に「常識」や「世間」などを持ち出して反道徳的であると非難すべきではないと思われます。

以上が「カノジョも彼女」の第11話における直也と柴乃の会話を踏まえてポリアモリーについて私なりに考えたことです。もちろん、この問題についてはまだまだ論点や視点があるようなので、暫定的な結論でしかないのですが……。

なお、ポリアモリーに類似しておりこの問題について考える際の補助線になりそうなテーマとしては、パートナーの同意を得た浮気・不倫・性風俗の利用や、生殖補助医療の問題が挙げられそうですね。