小説・ラノベ・アニメ・漫画の感想・おすすめブログ

小説・ラノベ・アニメ・漫画・ドラマ・映画などについて感想を語ったり、おすすめを紹介したり、その他いろいろ書き記すブログです。

アニメ「荒ぶる季節の乙女どもよ。」11話の感想・考察

普段はアニメの感想・考察記事は書かないのですが、このエピソードについては視聴後に抱いた気持ちを書き連ねたいという衝動に駆られ、「荒ぶる季節の乙女どもよ。」第11話の感想・考察記事を書くことにしました。

第11話では様々な場面がありましたが、この記事では、「新菜の気持ちを受け入れた和紗の心情」「パンツを切り刻んだ和紗の心情」に限って感想と考察を記したいと思います。

 

自分なりの人間観が多々入り込んでおり、トンチンカンなことを言っているかもしれないので悪しからず。

※筆者(管理人)は原作未読です。

 

 

(1)新菜の気持ちを受け入れた和紗の心情について

 

f:id:irohat:20190917085611j:plain

新菜から気持ちを明かされる和紗

部員が集まらず二人きりになった放課後の部室で、和紗は新菜から「私、泉君が好き」「一度はちゃんとこの気持ちを〔泉に〕ぶつけておきたい」「ごめんなさい」と明かされます。

それを受けて和紗は、「謝らなきゃいけないのは私の方」「菅原氏がいなかったら泉に告白しようって思えなかった。応援してくれて、励ましてくれて、だから勇気を出せた」「泉が私を好いてくれてるって今は自信が持てるようになった。菅原氏のお陰なんだ。それなのに菅原氏の想いをこれ以上、見てみぬふりをするなんて絶対に嫌」「ごめんね。告白すること、教えてくれて」「ありがとう」と、新菜に対して謝罪と感謝の言葉を送り、新菜が泉に告白することを受け入れます。そして二人は、「友よ!」と抱擁します。

f:id:irohat:20190917085712j:plain

抱擁する和紗と新菜

(実際は「略奪愛宣言とその受容」という現実にはなかなか起き得ない状況なのですが)このような正々堂々とした両者の態度は、実に少年漫画らしいフェアネス精神にあふれています。

ここでの和紗や新菜は、「正々堂々」「フェアネス精神」を大切にしており、(たとえ非現実的であっても)我々視聴者はこのような登場人物たちにむしろ好感を抱いてしまいます(私達普通の人間は通常、利敵行為をできない「弱い人間」だからこそ、理想像である「強い人間」に憧れを抱いてしまうんでしょうね)。

 

きっと多くの少年誌のラブコメ漫画であれば、ここで「良い話」となって、後は新菜が告白して泉がどちらかを選ぶだけ、という展開になるでしょう。

しかし、原作・脚本を岡田磨里氏が務めるこのアニメは一筋縄ではいきません

f:id:irohat:20190917090017j:plain

商店街を疾走する和紗

その直後の場面で、和紗は商店街を疾走します。「なんで!受け入れたくなんてなかったよ。でもああ言うしかないじゃん!受け入れなくたって告白しちゃうんなら、どっちみちなら〔受け入れるしかない〕!なんで!したくないよ、こんなときに『友よ!』なんて!」「だってあんなデレた菅原氏、可愛すぎるよ~~!」と、実は半ば嫌々ながら新菜の気持ちを受け入れていたことが明らかになります。

せっかく少年漫画的な「良い話」風になっていたのに、これでは台無しです! 

 

しかし、親友との関係を壊したくない気持ち、可愛い子には優しくしてしまう気持ちは、大変理解できるものであり、泉を奪われたくないながらも、新菜の正々堂々とした態度に流されてしまう和紗にはすごくリアリティがあります

商店街の疾走のシーンで明らかになったように、和紗は、新菜の正々堂々とした態度には正々堂々と応えるというような「強い人間」ではありません。むしろ、新菜の正々堂々とした態度に押し流され正々堂々っぽく応えてしまったというような「弱い人間」そのものです(また、そこで新菜の気持ちを拒否するほど卑屈になれないところも実に「弱い人間」らしいです)。「強い人間」なんて現実にはほとんど存在しないはずですから、視聴者側としては和紗の見せたリアルな「弱い人間像」に思わず共感してしまいます

新菜の示した「強い人間像」に押し流され、それに応えるように自身も「強い人間」を演じるも、それでも割り切れない気持ちを抱え続ける和紗「弱い人間像」を生々しく描写する様は見事としか言いようがありません。

 

ところで、和紗が商店街を疾走するシーンは、ギャグテイストに描かれていました。シリアステイストであれば、今後のエピソードで和紗と新菜の衝突を描かなければなりませんが、ギャグテイストだったので、後は和紗が恋愛と友情の間を揺れ動く相矛盾する気持ちを自分自身でいかに消化するのかにかかっている、ということなのでしょう。

これもまたリアリティのある描写です。「相手と表面上は和解しながらも、内心においては完全に納得できていない」なんてことは現実に多々あります。しかし、このような葛藤が、時間の経過や自身の人間的成長により、いつかは過去の出来事になってゆくこともまた現実に多々あります(反対に、握手して和解したら内心の葛藤は綺麗さっぱり清算されました、なんて爽やかな事態は現実ではそうそうありません)。

きっと和紗は、私達の多くが現実において経験しているように、時間をかけて今回の出来事と折り合いをつけてゆくのではないでしょうか。

 

 

(2)パンツを切り刻んだ和紗の心情について

 

f:id:irohat:20190917090628j:plain

泉にキスを迫る和紗

泉をめぐって新菜から正式に宣戦布告された後、和紗泉の気持ちが自身から離れてしまわないか気が気でないです。そのため和紗は泉に対してキスを求めたり、「泉としたい」と発言したりします。

しかし、和紗の必死さの裏側の事情を知らない泉は、不用意に新菜の名前を出したり、「大切にしたい」「落ち着いていこう」と諭したりするのですが、和紗にとってこれは逆効果でした。

f:id:irohat:20190917090836j:plain

泉に諭された和紗

なぜなら和紗は泉をめぐって新菜と競争状態にあり、キスも「えすいばつ」もしていない状態では新菜に対して何らのリードもできていないからです。加えて新菜は魅力的な容姿を持っているだけに、和紗の危機感は募るばかりです。

要するに、和紗としては泉の気持ちが自身に向いていることを確かめたかったのですが、その確認手段としてキスや「えすいばつ」を泉に求めたのです。

しかし、これを泉にやんわりと断られた形になってしまったため、和紗は失望したような様子を見せて帰宅したのです。

f:id:irohat:20190917091004j:plain

失望したような様子で帰宅する和紗

(加えて言えば、状況は異なるのですが、10話においてラブホ街で駿が「曾根崎さんを大切にしたい」と言ったとき、曾根崎先輩はこの言葉に感銘を受けていました「大切にしたい」という彼氏彼女間の同じセリフでも、曾根崎先輩・駿の間にある信頼関係と、和紗・泉の間にある信頼関係とがうまく対比されています

 

そんな失意を抱えた状態で和紗が帰宅すると、家には大事なところに穴の開いたパンツが届いていました。

もともと買った直後から後悔していたということもあり、「ちっちゃくちっちゃくちっちゃく……」和紗パンツを一心不乱に切り刻みます

f:id:irohat:20190917091139j:plain

パンツを切り刻む和紗

ところかわって直後の場面は、「大きくなっていくわ。私の中で、私への違和感が」という曾根崎先輩のセリフから始まります。連続する場面で大小が対比されていることから推察すれば、和紗がパンツを切り刻んでいた行為は、自身の中で抱える何かしらの違和感を小さく抑え込もうとすることのメタファーだと思われます。

 

それでは、この「違和感」とは何でしょうか?

和紗が切り刻んだパンツには大事なところに「穴」が開いていますが、「穴」は10話で「性に関する諸々の問題」の象徴のような扱われ方をしています。つまり、和紗「性」=「男女関係」=「和紗と泉の関係」についての違和感を小さくして抑え込もうとしているのです。

より具体的に言えば、その直前において泉と会話したときに抱いた違和感のことでしょう。すなわち、泉の気持ちは新菜に傾いているのではないかという疑惑(泉に対する違和感)、さらには、恋人にもかかわらず泉のことを信頼しきれていない後ろめたさ(和紗自信に対する違和感)ということになるのではないでしょうか。

 

このような違和感を消化しきれないまま、物語はとんでもない方向に転がって行きます。なんと、和紗たちは、曾根崎先輩に対する処分の撤回等を求めて学校に立て籠もったのです! 残り一話で和紗・泉・新菜の三角関係はどうなるのでしょうか? 楽しみですね!!

 

 

第12話の感想・考察記事はこちらから!

irohat.hatenablog.com