小説・ラノベ・アニメ・漫画の感想・おすすめブログ

小説・ラノベ・アニメ・漫画・ドラマ・映画などについて感想を語ったり、おすすめを紹介したり、その他いろいろ書き記すブログです。

アニメ「荒ぶる季節の乙女どもよ。」12話の感想・考察

 

この記事は、「荒ぶる季節の乙女どもよ。」第12話の感想・考察を記しているのですが、先日書いた第11話の感想・考察記事から引き続いて、和紗と泉の関係に焦点を絞りたいと思います。

irohat.hatenablog.com

 

(1)和紗と泉の愛情の証明方法について

 

第11話の感想・考察記事では、泉と和紗の会話について、以下のように分析しました。

泉をめぐって新菜から正式に宣戦布告された後、和紗泉の気持ちが自身から離れてしまわないか気が気でないです。そのため和紗は泉に対してキスを求めたり、「泉としたい」と発言したりします。

しかし、和紗の必死さの裏側の事情を知らない泉は、不用意に新菜の名前を出したり、「大切にしたい」「落ち着いていこう」と諭したりするのですが、和紗にとってこれは逆効果でした。

なぜなら和紗は泉をめぐって新菜と競争状態にあり、キスも「えすいばつ」もしていない状態では新菜に対して何らのリードもできていないからです。加えて新菜は魅力的な容姿を持っているだけに、和紗の危機感は募るばかりです。

要するに、和紗としては泉の気持ちが自身に向いていることを確かめたかったのですが、その確認手段としてキスや「えすいばつ」を泉に求めたのです。

しかし、これを泉にやんわりと断られた形になってしまったため、和紗は失望したような様子を見せて帰宅したのです。

 

第11話の時点で二人の間にはこのようなすれ違いがあったのですが、第12話Aパートでは、泉が「俺が好きなのは和紗だ。だけど、性的な欲求を感じるのは……す、菅原さんだ」と言っただけに、ますます二人の関係はこんがらがってゆきます。つまり、第一に性欲を感じる相手が新菜である泉が和紗と「えすいばつ」をしたとしても、これは二人の間の愛情を証明する手段とはならないのです。

f:id:irohat:20190924072326j:plain

トンデモ発言をする泉

泉が自身の気持ちを明言したことによって、和紗と泉の間にある違和感が決定的になってしまったのですが、そこで山岸先生の提案により色鬼が行われることになりました。

鬼となった新菜が出したお題は「私たちは青い群れ」(=青春の「青」)でしたが、月夜の暗がりのなかで、和紗と泉は同じ色、同じ感情、同じ言葉を見つけたのです。

f:id:irohat:20190924072956j:plain

「青」を見つけた和紗

和紗(あの日、あの言葉から、私は、ずっと辺りがよく見えない、暗いところにいた気がした……。暗がり……じゃない。私たち、青の中にいたんだ)

和紗「この色が欲しい」

「この色なんだけどな」

和紗(おんなじ言葉!)

「聞いて和紗。俺は菅原さんに性欲を感じるけど、だからって、本当にしたいなんて全然思ってない」

和紗「もういいよ」

「よくない!たぶん、俺が自分のこと、自分の気持ちと、その……性欲についてとか、よく分かってなかったから、きっと和紗、菅原さんも、誤解させたり、不安にさせた」

和紗(泉もよくわかっていない、の?)

和紗としたくないわけじゃない。けど、和紗には性欲以外のこと――ずっと一緒にいて、愛情とか、家族みたいな感じとか――そういうのが強くて……!」

和紗(私もそう!)

和紗を性的に見るのが、なんか……まだ恥ずかしいっていうか」

和紗(私もそう!)

「あんま急いで変な感じになるのも嫌なんだ。これから先もずっと一緒にいたいから。いきなり関係が変わり過ぎるのが怖いのもあるし」

和紗「わか~る!そうなの!そうなんだよ!性的なことに興味もあるけど嫌悪もあって!その二つはちっちゃい頃から知ってる泉とうまくイコールにならなくて!」

「そうそう!だけど好きなんだよ!可愛いって思うし、いつかはって!」

和紗「そう!かっこいいし、いつかは……」

f:id:irohat:20190924073030j:plain

互いの気持ちを理解し合えた二人

 泉と新菜の「変な奴」という互いの人物評価が同じ言葉になってしまった第5話では、「同じものを見て、同じ言葉を紡いだ。誰かと一つの感情を持てる喜びを、あの時、私は知ってしまったのだ。もう、元の私には戻らない。私を知らぬ間に変えたその感情は、こう呼ばれるだろう――恋」という朗読場面ありました。

この第5話のセリフに即して第12話の上記の会話を振り返れば、和紗と泉は、同じ青色を見て、自分たちの関係について同じ感情を抱き、同じ言葉を紡いだのです。そんな二人の間には、恋愛感情があると言うにふさわしいです。

第11話の考察記事に即して言えば、キスや「えすいばつ」では二人の間の確かな愛情を証明できなかった和紗と泉は、同じ色を見て、同じ感情を抱き、同じ言葉を紡ぐことで、二人の間の愛情を証明することができたのです。実に文学的、文芸部的です。

和紗「泉、私ね、これからも不安になると思う。でも泉と同じ気持ちと同じ言葉、私はちゃんと持ってるんだって、分かったから。不安になっても、それを思い出せば、きっと大丈夫」と言い切ったのは、まさにその証左です。

 

 

(2)和紗と泉の間で「恋愛感情と性的欲求のすれ違い」が起こった要因について

 

ところで、第11話の感想・考察記事では、パンツを切り刻んだ和紗の心情について、次のように分析していました。

つまり、和紗「性」=「男女関係」=「和紗と泉の関係」についての違和感を小さくして抑え込もうとしているのです。

より具体的に言えば、その直前において泉と会話したときに抱いた違和感のことでしょう。すなわち、泉の気持ちは新菜に傾いているのではないかという疑惑(泉に対する違和感)、さらには、恋人にもかかわらず泉のことを信頼しきれていない後ろめたさ(和紗自信に対する違和感)ということになるのではないでしょうか。

 

しかし、第12話の上記の二人の会話を見る限り、ここにはもう一つ違和感があったと言わなければならないでしょう(むしろこちらがメインの違和感でした)。その違和感とは、和紗も泉も「いきなり幼馴染を性的対象として見れない」という実に素朴でリアルな感情です。

 

思い返せば、岡田磨里氏が原作・脚本を務めるこのラブコメ作品のテーマ(の一つ)は、「彼氏彼女のすれ違い」といったありきたりなものではなく、「恋愛感情と性的欲求のすれ違い」です(参照:荒ぶる季節の乙女どもよ(荒乙) 2話 感想&考察!泉の発言考察と新菜が誘った逆転の発想 - アニメのおすすめなどを語るブログ)。「いきなり幼馴染を性的対象として見れない」という違和感は、和紗と泉の関係においてまさに「恋愛感情と性的欲求のすれ違い」具体化されたものです。

 

文芸部5人の荒ぶる季節は、第1話における新菜の「死ぬまでにセ〇クスしたい」発言から始まったのですが、泉との関係において和紗にとって決定的だったのはむしろ、第2話の河川敷における和紗は誰と〔「えすいばつ」を〕したい?」「誰かとどうしてもしなくちゃ地球が滅びるとしたら?」という新菜からの問いだったと思われます。

f:id:irohat:20190924073858j:plain

河川敷で新菜に問い詰められる和紗(第2話)

よくよく考えてみれば、この質問は少し意地悪だったような気がします(問いかけた新菜としては和紗と泉の関係を進展させたかっただけなのですが)。

「誰と『えすいばつ』したい?」という「性的欲求」を感じる対象についての質問に、「地球が滅びるとすれば」という究極的な条件が付けられてしまっては、「地球が滅びるとき最後は誰と一緒に過ごしたい?」と質問された場合のように、「性的欲求」と「愛情(恋愛感情)」が結び付いてしまいます。しかも、「どうしてもなら、泉」と答えた和紗に対して、新菜が「それって典元くんが好きってことじゃないの?」と追い打ちをかけただけに、和紗の中では「泉=恋愛対象=性的対象」という定式が完成してしまいます

元々、幼馴染という関係から、和紗は泉には愛情(恋愛感情)しか抱いていなかった泉=恋愛対象≠性的対象のですが、恋愛感情と性的欲求を混同させる新菜からの質問によって和紗「恋愛感情を抱いたならば性的対象として見なければならない/恋愛感情を抱かれたならば性的対象として見られなければならない」刷り込まれてしまったのです。第12話で明らかになったように、本当は「いきなり幼馴染を性的対象として見れない」にもかかわらず、そう思い込んでしまったのです。

こうして和紗「恋愛感情と性的欲求のすれ違い」が起こったのです。

 

新菜は(悪意はないのですが)同様のことを泉にも仕掛けます。第3話の踊り場での会話の場面において、新菜は「誰かとどうしても〔「えすいばつ」を〕しなくちゃ地球が滅びるとしたら、誰としたい?」「〔「えすいばつ」のことについて〕女だって考えるよ。和紗だってね」と泉に投げかけるのです。

f:id:irohat:20190924074312j:plain

新菜に質問を投げかけられる泉

そうして和紗」と「性的対象」との結び付きを刷り込まれた状態で、再び泉は新菜から思わぬことを聞かされます。和紗は泉のことが好きだ、と。しかも、「好きとか嫌いとか別として、『これっぽっちもしたくない』っていうのはやっぱりどうかと思う。すべてを否定された気になるから」とも言われているのです(第5話)。

泉も「いきなり幼馴染を性的対象として見れない」にもかかわらず、上記の一連の新菜の発言により、「恋愛感情を抱いたならば性的対象として見なければならない/恋愛感情を抱かれたならば性的対象として見られなければならない」という規範意識を刷り込まれてしまいます

こうして泉にも「恋愛感情と性的欲求のすれ違い」が起こったのです。和紗と違って泉の方はこのすれ違いを自覚しているようでしたが(第11話の「大切にしたい」発言)、新菜のことを性的対象として見てしまっている負い目のためか、第11話の段階では、「いきなり幼馴染を性的対象として見れない」ということを和紗に上手く説明できませんでした

 

一般的に(というか社会倫理規範的には)、幼馴染の彼氏彼女であっても恋人というものは、性的欲求よりも先に恋愛感情が芽生え、その後、性的欲求が膨らんでくるものだと思います。

しかし、新菜の「死ぬまでにセ〇クスしたい」発言や、泉がアレしているところを和紗が目撃したこと、さらには上記のように新菜が和紗と泉の間で立ち回ったことなどにより、和紗と泉の間には、「性的欲求」(実際は性的欲求があるという錯覚)が、「恋愛感情」と同時に、いや、むしろそれに先立って生まれてしまったのです。

 

こうして振り返ってみると、「恋愛感情と性的欲求のすれ違い」をテーマとするこの作品において、和紗と泉が「いきなり幼馴染を性的対象として見れない」という共通の結論にたどり着くのに、数々の重要な場面で新菜が介在しています

第12話において本郷先輩との会話の中で山岸先生が「こういうのは役割分担がある」「物語の中にすでに主人公がいたら、こっちは脇に回るしかないってことです」と語っていました。

最終話まで見終わってすべてを振り返ってみれば、和紗と泉の物語においては、新菜は脇役トリックスターでしかありませんでした。実は新菜は、月下の廊下における和紗と泉の会話を最初から最後まで聞いていたようなのですが、あの青色を見つけた段階で「私も同じ!」と言って二人の間に割り込まなかった、割り込めなかったのは、きっと自身の役割を悟ったからなのでしょう。

 

 

(3)おわりに

 

さて、第11話の感想・考察記事でも書きましたが、普段はこのような形でアニメの感想・考察記事を書かないのですが、第11話、第12話については、そうせずにはいられませんでした。「荒ぶる季節の乙女どもよ。」魅了されてしまっていたようです。

特にお気に入りの場面は、第11話で和紗が商店街を疾走するシーンです。あそこにはとてもリアルな人間像が反映されていて心動かされました(詳しくは第11話の感想・考察記事の(1)をご覧ください!)

irohat.hatenablog.com

最後に、原作・脚本を務めた岡田磨里氏をはじめとするスタッフの皆様、ありがとうございました!

TVアニメ『荒ぶる季節の乙女どもよ。』公式サイト