『かげきしょうじょ!!』第8巻の感想・考察――渡辺さらさの出生の秘密に迫る!
この記事には、斉木久美子『かげきしょうじょ!!』第8巻(2019年10月4日発売)の感想・考察が書かれています。ネタバレにご注意ください!!
『かげきしょうじょ!!』をまだ読んだことがない方は、下記の紹介記事をご覧ください!
その他、以下のような記事も書いています!
文化祭の結果と奈良田愛の方針
第99期生卒業記念公演である文化祭で寸劇をすることになった第100期生ですが、ティボルト役を務める予定の渡辺さらさは、祖父が倒れたことにより急遽東京に帰省したため、出演不可に。その代役に奈良田愛が入ることになります。しかし、愛は本番で「ジュリエット」を「ちゅるエット」と噛んでしまいます。
ところが、自他ともに娘役を当然視してきた愛は、文化祭でのティボルト役により(噛んではしまいましたが)男役の才能を見せために、安道先生から男役を志望しないかと提案されました。
この作品の主人公は、渡辺さらさと奈良田愛の二人です。この二人がそれぞれ男役と娘役になり、共にトップに立つという展開もなかなか良いですが、しかし、男役志望の二人がトップをめぐって競い合うという展開も素敵ではないですか?
セリフが熱い!――これぞ紅華乙女!
一つ目の熱いセリフは、ティボルト役を失敗した愛に向けてさらさが言った「失敗したって、また何度でも蘇りましょう!」です(8巻27幕142頁)。
そして、このセリフに勇気づけられた愛は、文化祭の失敗を気遣う安道先生に対して、「大丈夫です。失敗しても何度でも蘇りますんで」と宣言します(8巻27幕147頁)。
ところで、このセリフ、なんだか見覚えがありませんか? それもそのはず、第1巻に同様のセリフが登場しているのです!!
さらさと出会った国広先生が少年時代を回想したときのことです(1巻2幕73頁以下)。空襲で大劇場も台本もすべてが燃えて無くなってしまったとき、国広少年に対して「白薔薇のプリンス」こと櫻丘みやじが語った言葉です。
「全てが無くなってしまった。でもね少年よ。紅華は死なない、私が死なせない」
「何時の世も人々には夢が必要だ。この焼け野原を超えて行けるよう私はまた皆に夢をみせよう。皆がそう望むのなら、私達は死なない。私たちは何度でも蘇るだろう」
このセリフのことを国広先生はさらさに伝えていません。しかし、それにもかかわらず、さらさは同様のセリフを放ったのです! まさに紅華乙女の魂が隠然と受け継がれているのを感じませんか?
(追記)この点、公式ガイドブックのインタビューで作者の斉木先生が言及していました(詳細は公式ガイドブックについての記事を参照)。
セリフが熱い!――渡辺さらさと白川暁也の関係は?
奈良田愛が訝しんでいるように、渡辺さらさと白川暁也の関係は、恋人というより、ライバルや同士のような関係です。
6巻19幕60頁以下で明らかになった過去によれば、白川煌三郎は、16代目白川歌鷗=助六になるという暁也の夢(2巻7幕114頁以下)を手玉にとるような形で、暁也がさらさと付き合うことを提案したのです。
さらさに幼馴染としての好感は持てども恋人になる気はなかった暁也は煌三郎の(半ばパワハラ的な)提案を受け入れるかどうか悩みますが、煌三郎と暁也の会話を陰で聞いていたさらさは、彼女の方から「さらさの彼氏になってください」と提案します。きっとさらさは暁也の夢を応援するためにこのような提案を行ったのでしょう。
そのため、さらさと暁也は、周りから見れば恋人関係ですが、本人同士にとってみればライバルや同士のような関係なのです(恋人になったきっかけについて暁也が気付いているのかは分かりませんが)。
しかし、なぜ煌三郎は、暁也とさらさを恋人にさせ、「さらささんの人生の大切な青春時代も見守っていたい」のでしょうか? ――――この点については下記の(5)で考察しています。
さて、話は第8巻に戻ります。一人暮らしで健康状態に不安のある祖父のことで悩むさらさに対して暁也はこう言い放ちます(8巻25幕72頁以下)。
「紅華を辞める事を他の誰が許しても、俺は絶対に許さない!!」
「君は俺にとって手の届かない頭上の星だ。俺にとって初めての壁は君だった。そして、君がお稽古を辞めた事によって永遠に越すことのできない存在になったんだ。それでも、いつまでも追いかけて、空を見上げて確認せずにはいられない。助六を俺に譲ってやるって大口を叩いたのなら、地上に落ちる事は許さない」
熱い!熱すぎる! ちょっと恥ずかしいセリフだけど、それが良い! やはり、こうやって競い支え合ってゆく関係は、恋人というよりライバルと言うべきなんだと思います。
(追記)さらさと暁也の関係については、こちらの記事も参照。
あの女性は誰?――渡辺さらさの出生の秘密
第2巻の記事では以下のような考察を行いました。
「さらさは煌三郎の婚外子」と噂されているが(2巻6幕69頁)、さらさは実は15代目白川歌鷗の実娘のよう(2巻8幕150-152頁)。
白川歌鷗の妻(女将さん)がさらさに対して「お前は助六にはなれません!!」ときつく言ったのも、さらさが15代目白川歌鷗の婚外子(隠し子)のためか(つまり、白川歌鷗の妻はさらさの母親ではない)。
さらさの母親については作中で何も触れられていないが、さらさが渡辺家にいることからすれば、さらさの祖父母(渡辺家)の娘がさらさの母親のはず。さらさの祖父(健じいちゃん)が歌舞伎を嫌いになったのは、既婚者の15代目白川歌鷗が娘に手を出したことが原因か。
気になるのは、白川煌三郎。父親でも恋人でもないのに、必要以上にさらさのことを気にかけ過ぎでは……?
どうやら、この考察は今のところ間違っていないようです。
そして、8巻25幕71頁以下、26幕92頁以下、125頁以下に登場する口元にほくろのある黒髪の女性は、
- 名前は「志織」(8巻26幕120-121頁)。
- 白川煌三郎の妻であり、15代目白川歌鷗の娘。
- 渡辺さらさとは、15代目白川歌鷗を共通の父親とする異母姉妹関係にある(志織の母親は15代目白川歌鷗の妻〔「お前は助六にはなれません!!」と言い放って、さらさに歌舞伎役者の道を諦めさせるきっかけを与えた人物〕)。
- 健爺ちゃんの娘(=さらさの母親)とは面識がない(8巻26幕126-127頁)。
しかしいったい、「何も知らないのに二人〔暁也と煌三郎〕でナイトきどっちゃってさ」「あのこを一番ささえて居るのは私…って」(8巻26幕127頁)という志織の意味深なセリフはどういう意味なんでしょうかね? 志織はさらさの人生とどのような関わりを持っているのでしょうか?
さて、とりあえず以上の情報を整理すると、次のような家系図が作れます。
この家系図は、作中で明言されていない情報を含んでいますが、作中に散らばる各種の情報を総合すれば、おそらく間違いはないはずです。
渡辺さらさの母親に関する考察
以下の考察は、妄想甚だしいですが、万が一当たっていたら続刊を読むに際して興を削ぐようなことになるかもしれませんのでご注意を!(外れていたら大笑いしてください!)
そもそも、さらさの母親は生きているのでしょうか? それとも亡くなっているのでしょうか?
さらさが2巻5幕22頁以下の墓前や8巻26幕98頁の仏壇で故人の祖母だけに挨拶していることからすれば、おそらく、さらさの母親は生きていると思われます。おそらく彼女は、15代目白川歌鷗との間に生まれたさらさを父母(さらさの祖父母)に預け、渡辺家を出て行ったのではないでしょうか。
それでは、さらさの母親はいったい誰なのでしょうか?
ここで一つの(突飛な)仮説が立てられます。それは、さらさの母親は女優・奈良田君子(奈良田愛の母親)ではないか、という説です。つまり、さらさと愛は姉妹ではないか、ということです。
このように考えるようになったのには、以下の理由があります。
- さらさと愛は1歳差であり、姉妹でもおかしくないこと(3巻11幕85頁によれば、入学時の年齢は、さらさは15歳で中3受験合格、愛は16歳で高1年代受験合格)。
- さらさの祖母が亡くなった時期=さらさの幼少時代(2巻7幕91頁以下)と、愛の祖母が亡くなった時期=愛が9歳の頃(『エピソードゼロ』193頁の「おばあちゃんは私達に沢山の財産と美貌を残して、七年前にこの世を去りました」)が符合しており、両者は同一人物の可能性がある。
また、加えて仮説を立てれば、愛の父親は本人も知りませんが(『エピソードゼロ』191頁以下)、母親が芸能人なだけに父親は15代目白川歌鷗または白川煌三郎の可能性もあります。
つまり、以下の二つの仮説を立てられます。
仮説① さらさと愛は、父親を15代目白川歌鷗、母親を奈良田君子とする姉妹である。
仮説② 15代目白川歌鷗を父親とするさらさと、白川煌三郎を父親とする愛は、奈良田君子を共通の母親とする異父姉妹である。
それぞれの説の家系図は以下のようになります。
しかし、上記二説にはいくつか難点もあります。
第一の難点として、奈良田君子がさらさの母親だとすれば、なぜ君子は渡辺姓ではなく奈良田姓を名乗っているのでしょうか?
これに対する一つの回答は、奈良田君子が芸名であるというものです。しかし、芸名だとすれば、弟の太一や娘の愛も奈良田姓を名乗るのは不自然な気がします(とはいえ、太一は元バレエダンサー、愛は元アイドルのため、現役時の芸名を紅華音楽学校という特殊な環境下において今でも使っている、というのは全くあり得ない話でもないとも思います)。
もう一つの回答は、君子と太一が子供時代に何らかの事情により渡辺家から他家に引き取られ、奈良田姓に変わったという可能性です。「八王子のおじさん」(『エピソードゼロ』193頁)あたりが養子として引き取ったのかもしれません。
第二の難点は、さらさの祖母と愛の祖母が同一人物であることがどうにも信じられないことです。歌劇や歌舞伎が大好きな畳屋のおばあちゃんという渡辺家側の人物像と、沢山の財産を残した奈良田家側の人物像とがうまく繋がらないのです。また、同一人物だとしても、このおばあさんは意外なほどの二面性を持っていたということになります。何かしらの事情があったのでしょうか?
第三の難点としては、白川煌三郎のさらさに対する態度を説明できないことが挙げられます。
仮説①に従えば、煌三郎にとってさらさは、義父(15代目白川歌鷗)の娘、あるいは結婚相手の妹であり、一般的には親子のような愛情をかける関係にはありません(不倫関係になることはあるかもしれませんが)。
仮説②に従えば、煌三郎にとって奈良田愛の方こそが実子であるため、むしろ煌三郎が愛情を注ぐ相手はさらさではなく愛の方であるべきです。しかし、もしも煌三郎が自身に実子がいることを知らなかったとしたらどうでしょうか? そうだとすれば、煌三郎がさらさに愛情を注ぐのもあり得る話ではないでしょうか? 具体的には以下のようなストーリーが考えられます。
十数年前、奈良田君子と白川煌三郎は恋仲にあったが、何らかの事情により二人は別れることになる。しかし、そのとき君子は愛を妊娠してたが、これを煌三郎に伝えていなかった。出産後、君子は愛を奈良田家に預けると、今度は15代目白川歌鷗と恋仲になり、さらさを妊娠・出産する。その後、15代目白川歌鷗にとって愛人である君子は彼のもとを去るが、さらさは実家である渡辺家に預けられることになる。そして、君子が15代目白川歌鷗との間にさらさを産んだことを知った煌三郎は、自身と君子の間には愛という実娘がいることを知らないまま、かつて愛した女性の娘であるさらさに対して我が子のように愛情を注ぐことになる……
……というストーリーはどうでしょうか? 綱渡りのような想像ですが、一応は白川煌三郎のさらさに対する親しげな態度(薔薇を贈ったり、暁也とさらさを恋人にさせたり……)を説明できているのではないでしょうか?
もしこの仮説の通りだとすれば、「何も知らないのに二人〔暁也と煌三郎〕でナイトきどっちゃってさ」という志織のセリフ(8巻26幕127頁)の「煌三郎は何も知らない」という部分は、「煌三郎は奈良田愛という実の娘がいることを知らない」という意味ではないでしょうか?
白川煌三郎は度々、匿名でさらさに対して赤い薔薇を贈るのですが、これについてさらさは、「その薔薇を見ていると、さらさの会ったことのないお父さんに…見守られている気分になるんですよ」と語ります(8巻26幕118-119頁)。
しかし、白川煌三郎がとんでもない狸でない限り、さらさの実父は15代目白川歌鷗であることは、これまでの作中における情報を総合すればほぼ確実です。そうだとすれば、煌三郎もさらさも、半分正解で半分間違いの父娘関係を感じていることになります。
つまり、煌三郎は、かつて愛した奈良田君子と15代目白川歌鷗との間に生まれたさらさに対して我が子のように愛情を注ぎます。しかし、実は煌三郎には奈良田愛という実の娘がいるのですが、彼はその存在を知りません。そんな煌三郎は、かつて愛した女性の娘に対する愛情表現として匿名でさらさに薔薇を贈るのですが、さらさはこれに父の存在を感じます。さらさにとって煌三郎は実父ではないのですが、しかし煌三郎はまさに父のような愛情を注いでいたために、さらさはそこに父の存在を感じたのでしょう。
以上が妄想全開の仮説です! あまり自信がないので話半分に捉えてください!! 特に、白川煌三郎に関する考察は、「さらさの母親=愛の母親」という突飛な説を前提として妄想したのでご注意を!
しかし、もし、さらさと愛が姉妹であり、紅華音楽学校で運命的に出会った二人が互いを支え競い合ってゆく仲になったとすれば、非常に胸の熱くなる展開ではありませんか?
(追記)どうやら、さらさと愛が姉妹説は、放棄せざるを得ないようです。詳細は以下の記事を参照。
第9巻・第10巻・第11巻・第12巻の感想・考察記事はこちらです!