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アニメ「俺を好きなのはお前だけかよ」第9話のちょっとした感想

 

 

アニメ俺を好きなのはお前だけかよについては感想記事を書いてこなかったのですが、第9話については特に思うことがあったのでここに記すことにします。

※筆者は原作未読です。誤解があったらごめんなさい。

※筆者の人間観が反映されていますのでご留意ください。

 

 

(1)パンジーとジョーロ

まずは、汚損してしまった高額の本をバイトによって賠償しようとするジョーロの姿勢をパンジーが厳しく指弾したシーンを振り返りましょう。

パンジー「最低の理由で続けるアルバイトなんて文句しかないわ」

ジョーロ「俺が何のためにバイトしてると……?」

パンジー「自分の立場を守るためよね」

ジョーロ「な、なんのことだよ……?」

パンジー「甲子園を目指すサンちゃん、テニス部のエースのヒマワリ、生徒会長のコスモス先輩、お店を切り盛りするツバキ、みんなと比べて劣等感を持つあなたは、どうにかこの件だけは自力で解決したかった。だから今回のあなたの行動は誰かへの優しさではないわ。善意の皮を被った自己満足。私が世界で一番嫌いな感情よ」

ジョーロ「ざけんな! だとしてもテメーにとやかく言われる筋合いはねえ!」

パンジー「俺にどうしろってんだよ……俺に何がある? 俺には何もねぇ……何も、ねぇんだよ……」

パンジー「私があるわ。ジョーロ君のことが大好きで大好きで仕方ない私があるわ」

ジョーロ「んなもんは……」

パンジー「大丈夫、大丈夫よ、ジョーロ君。あなたは十分立派な人よ」

ジョーロ「パンジー……テメーはもう失せろ」

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言い争うジョーロとパンジー

パンジーはもちろん、ジョーロをストーカーするなど、これまで常人とは一線を画す人物として描かれてきましたが、ここにきて彼女の性格の「歪み」が一気に見えてきたような気がします。以下、3点にわたって具体的に記してゆきます。

 

1.賠償を固辞しようとするパンジー

まず、これは一つ前の第8話のことですが、パンジーは本を汚損してしまったジョーロの賠償を固辞しようとしていました。

一見するとこのようなパンジーの姿勢は美徳のように見えますが、「タダよりも高いものはない」という言葉があるように、負い目を感じている相手に何らかの形でその清算をさせないことは、その人に対して隠然と負い目を感じ続けさせることになります(「これまで通り図書室に通う」ことは「これまで通り」なので清算にはなりません)。そしてその人は、その負い目から、相手の要求を断りづらくなります。もしもジョーロが賠償の辞退を受け入れていたら、パンジーのジョーロに対する支配が強まったのではないでしょうか?

 

2.ジョーロのアルバイトの動機を非難するパンジー

サンちゃん、ヒマワリ、コスモス会長、ツバキらがそれぞれに個性(アイデンティティ)を確立している(ように見える)ことに対してジョーロが劣等感を抱き、それを克服するためにアルバイトをすることは、悪いことだとは全く思えません。

もちろん、他の誰のためでもなく、ほかならぬ自分のために行っているもの(自己満足)ですが、このような行動は一概に否定されるべきではありません。利己的行動が非難されるのは、それが他者の迷惑になるためですが、今回のジョーロのアルバイトは、普通に考えれば誰の迷惑にもなりません。迷惑を被る人をあえて挙げるとすれば、ジョーロと放課後に一緒に過ごす時間がなくなるパンジーが挙げられますが、これはもはやパンジーのわがままです。パンジーこそ、ジョーロのアイデンティティの形成を阻む利己的人物に思えてなりません

パンジー「今回のあなたの行動は誰かへの優しさではないわ。善意の皮を被った自己満足。私が世界で一番嫌いな感情よ」と言っています。しかし、人のあらゆる行動(とまでは言わないにしても重要な決断を伴う行動)がすべて「誰かへの優しさ」に基づかなければならないというのは、無理な話ですし、必ずしも良いことだとも思えません。そんな行動原理の人物がいたとすれば、その善意や優しさにつけ込んでその行動をコントロールしようとする人が現れてきます。まるで最近話題の「やりがい搾取」と似た構造です。パンジーはジョーロを奴隷にしたいのでしょうか?

 

3.ジョーロには自分がいると説くパンジー

自身の無個性に劣等感を抱くジョーロに対して、パンジーは自分がいると説きます。

アルバイトを通じてアイデンティティの形成を目指すというジョーロの動機を否定した上で、あなたが大好きな私こそがあなたのアイデンティティである、とパンジーはジョーロの心の隙間に入り込もうとしてきます。まるで洗脳です。

そもそも、自らのアイデンティティを他者の好意に依存することが健全だとは思えません。当事者同士はその時点ではその好意が変化することはないと信じているかもしれませんが、人の感情である以上、それなりの確率で裏切られる可能性があります。裏切られたときには、ひどいアイデンティティ・クライシスに陥り、心を病むのではないでしょうか。

アイデンティティはむしろ、安定性・持続性を持った関係(家族、郷土、母校など)や、個人的な成功体験(勉強、スポーツ、周りの人がやっていない仕事など)に基礎を置くべきではないでしょうか。これらは裏切ることが(ほとんど)ありません。

パンジーのような恋人未満の関係性の他者に、アイデンティティが依存するのは不健全に思われます。

 

 

(2)ジョーロの謝罪

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パンジーに謝罪するジョーロ

「この間は本当に悪かった! お前に本心を言い当てられて、自分が惨めに感じて、八つ当たりをした……。それで俺なりに考えたんだ……アルバイトは続ける。負い目を無くしたいからじゃねぇ。俺がお前にちゃんと新しい本を買い直したいから」

ジョーロはパンジーにこう言って謝罪しましたが、「アルバイトは続ける。負い目を無くしたいからじゃねぇ。俺がお前にちゃんと新しい本を買い直したいから」というのは、額面通りに受け取るべき言葉ではありません

まず、ジョーロはその前段において、自身が劣等感を抱いていること自体は本心であると認めているのです。そして、パンジーに賠償した後もバイトを続けていることからすれば、バイトの目的は、「俺がお前にちゃんと新しい本を買い直したいから」以外にもあり、それとはまさしく「劣等感を解消する」ことなのです。ジョーロはアルバイトを通じたアイデンティティ形成をなお目指しているのです。

ということは、上記のジョーロのセリフは、「アルバイトは続ける。負い目を無くしたいから(という理由だけ)じゃねぇ。俺がお前にちゃんと新しい本を買い直したいから(という理由もある)と補足しておくべきでしょう。

 

 

(3)ツバキとジョーロ

ジョーロにバイトの早退をすすめたとき、ツバキは「今日はゆっくり休んで考えてほしいかな。自分が何のためにアルバイトするか、何を成し遂げたいかを」と言っていました。

また、祝勝会の裏側で二人はこんな会話をしていました。

ジョーロ「それに何か話があったんだろ? 俺に」

ツバキ「アルバイトを通して君は自信を持って行動できるようになった。そんな今だからこそ、僕の本当の恩返しをさせてもらおうと思ってね」

ジョーロ「いや、もう十分世話になってるし、これ以上は……」

ツバキ「ジョーロ、君はそろそろちゃんと覚悟を持った方が良いかな。転校してきた初日、ジョーロを見てて思ったんだ。君は自分には脇役がふさわしいって考えて、自分を卑下して、大事なことから目を背けてるって。君を大切に想ってる周りの気持ちから。だから決めたんだ。ジョーロは脇役なんかじゃない、みんなの中心にいる人だって覚悟をもってもらおう、それを僕の恩返しにしようってね」

ジョーロ「お前もしかして最初から……」

ツバキ「ジョーロ、みんな君が大好きだよ。君がいるからみんなが一緒にいるんだ。その気持ち、ちゃんと受け止められるかな?」

ジョーロ「そうだな……ちゃんと受け止めるよ。なんせ俺は……」(とびっきりかわいい女の子たち、頼れる親友。こんな最高の奴らと一緒に過ごす俺がモブなわけ……いや、そもそもモブなんて世界のどこにもいねーんだ)「……どこにでもいる平凡な主人公だからな!」

ツバキ「うん、大正解かな!」

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ジョーロとツバキ

アルバイト経験やツバキとのやり取りを通じて、自身がモブでないこと、モブなんて世界のどこにもいないこと、自身も主人公であることに気付いたジョーロは、他者に劣等感を抱いたり、他者に依存したりするのではなく他者と対等な関係にある自己像=アイデンティティを形成することができました

そして注目すべきは、ツバキの発言です。「ジョーロは脇役なんかじゃない、みんなの中心にいる人」「みんな君が大好きだよ。君がいるからみんなが一緒にいるんだ」と言っているのです。ツバキは、ジョーロについて、アルバイトをしていることだけでなく、みんなの中心的人物であることを指摘し、ジョーロにそのアイデンティティの在処を気付かせてくれていますジョーロのアイデンティティを自身に依存させようとしたパンジーとは真逆のセリフです

 

こうしてみてみると、無個性なことを劣等感として抱くジョーロに対して、その心の隙間に入り込もうとするパンジーと、ジョーロが無個性ではないことを気付かせ激励するツバキとが好対照な第9話でした。

どちらの方がジョーロにとって好ましい人物かと問われれば、一般的な感覚からすれば、もちろんツバキです。正ヒロインにふさわしいのは、パンジーではなく、ツバキではないでしょうか? いや、でも、この作品のヒロインたちは一様にどこかで失点をしているので、ツバキもその例外ではない……?

 

 

まあ、こんなことを考えたアニメ「俺を好きなのはお前だけかよ」の第9話でした。

次話の特別編「俺は丁寧に進める」というのは、「(これまでの放送を振り返ってストーリーを)丁寧に進める」だけでなく、「(作画を)丁寧に進める」ということも意味しているんでしょうか?